He is reclusive

バンライフ、旅、持病のIBS(過敏性腸症候群)、読んだ本などについて

もはや自己啓発書【読書ノート】「続・死ぬ瞬間/E・キューブラー・ロス」

 

参考になった知識

・インドのヴェーダ(3,000年前のインド最古の宗教の聖典)から、現代の思想家の言葉にいたるまで、哲学者たちの目的はすべて、死の意味を解明し、人びとが死の恐怖を克服できるようにすることだった。ソクラテスプラトンモンテーニュは、哲学するということは死の問題を研究すること以外の何物でもないと教えており、ショーペンハウアーは、死は「われわれの心に真に霊感を与える哲学の天才」であると言っている。バビロニアの「ギルガメシュ」も、サッフォーの叙情詩も、死を題材としている。

・トラック諸島(ミクロネシア連邦)は死を肯定する社会だと考えられている。住民にとっては、40歳になると生が終わり、死が始まる。

ユダヤの伝統において、死の床での遺言には、物質的財産の分与ではなく、道徳的な諭しを授けるという側面がある。

 

感想

 数百人もの末期患者にインタビューした医師、E・キューブラ・ロス氏が書いた「死ぬ瞬間」の続編。前作は末期患者の死の受容過程がメインに書かれていたが、今作は「死、それは成長の最終段階」というサブタイトルの通り、学者や遺族らの寄稿も交えて、死と向き合うことは成長の糧だとする主張が展開されている。「成長」がキーワードということもあり、良い意味で、自己啓発書のような側面もある本だと感じた。

 

 以下、特に印象に残った言葉の引用。

 

 死ぬことを怖がり、忌避する人たちは、本当の意味で生きてこなかった人たちだ。つまり、未解決の問題や果たさなかった夢、砕け散った希望などをそのままにしてきた人たちである。

 

 自分の気持ちや行為の一つひとつが、自分と関係のある人たちに影響を与え、その人たちがまた他の人たちへ影響を与えるというように、次々に広がっていく影響というかたちで、人間は寿命が尽きたあとでも永遠に存在し続けると考えてもいい。たとえば、出会った人に微笑みかけたり、励ましの言葉をかけたりしたことが、さざ波のように広がって誰かに影響を与えているということを、あなたは知るまい。

 

 また、本の中で引用されていたヴィクトール・フランクル氏(オーストリア人の心理学者・精神科医ナチス強制収容所での体験を書いた"夜と霧"の著者)の言葉が大変参考になった。

 

 人生において遭遇するそれぞれの状況は、人に与えられた試練であり、解決すべき問題を提起しているのだ。そう考えると、人生の意味は何かという問いかけは、じつは逆なのではないだろうか。結局のところ、人生の意味など問うべきではなく、自分自身がそれを問われているのだということに気づくべきだ。つまり一人ひとりが、人生からその意味を問われているのであり、自分自身の人生のすべてを引き受ける、つまり責任ある生き方をすることによってのみ、それに答えることができるのだ。

 

 私はここ数年、「人はなぜ生きるのか、自分に生きている意味はあるのか」ということを考えている。ヴィクトール・フランクル氏の言う通り、これは人生や宇宙の物理法則に対して問うものではなく、自分自身がその意味を問われていると自覚したほうが良いかもしれない、と感じた。

 

 また、寄稿のなかに葬儀屋の従業員によって書かれたものがあった。そのなかで、遺体の処置をはじめとする葬儀は、遺族が愛する人の死を受け入れるための大事な機会であり、葬儀屋が全ての作業をビジネスライクに代行してしまうことは、その大事な機会を奪うことになる、といったことが書かれている。青木新門氏の「納棺夫日記」と似た雰囲気を感じた。

 

 

人の死生観は進歩しているのか【読書ノート】「ソクラテスの弁明・クリトン・パイドン/プラトン」

 

 

 「死」あるいは「自死」がテーマの本を読むと、必ずといっていいほど引用されるのが、古代ギリシアの哲学者プラトンが師・ソクラテスの死について書いた一連の作品だ。「神を冒涜し、青年に有害な影響を与える」といった罪で死刑判決を受けたソクラテスは、それを拒むことなく、平常心で死を受け入れる。その振る舞いは弟子たちなど、日頃のソクラテスを知る周辺者にも不可解だったようだが、ソクラテスは自分がなぜ死を恐れないのかを説いていく。

 

 「ソクラテスの弁明」は、死刑判決に至る裁判でのソクラテスの発言の記録が書かれている。情状酌量をこうわけではなく、この裁判の愚かさを主張した上で、煮るなり焼くなり好きにしろ、という感じだ。「裁判の場合にしても、戦争の場合でも、わたしに限らず、他の誰でも、死をまぬがれるためには、何でもやるというような、そういう工夫は、なすべきものではない」。また、かの有名な「無知の知」についても言及する。

 

 「クリトン」では、ソクラテスに国外逃亡を促す旧友クリトンに対し、ソクラテスがそれを拒む理由を説明する。自分が弾圧されようがアテナイが祖国であることには違いなく、祖国の法に従うのが正しい行為である。国外に逃げたとしても、単に食事にありついて生きながらえるだけで、正しい生き方は望めない、といったものだ。

 

 「パイドン」では、ソクラテスが、自身の死刑執行当日に面会に来た弟子たちと議論を交わし、最後の教えを授ける。ソクラテスは、肉体から解放されて、本当の意味で思惟に集中できる「死」は決して悪いものではないと主張するが、これは「肉体が滅んでも魂は不滅」という考え方が前提にある。ソクラテスは、この考え方に疑問を投げかける弟子たちを論破していく。

 

 私は、理解不足も大いにあったと思うが、「魂は不滅である」というソクラテスの「証明」は納得できなかった。私は哲学の知識がないので具体的な言及は避けるが、ちょっと無理矢理感がある印象を受けた。

 

 ただ思ったのは、人にとって死が「未知」のものであって、死を恐れない人間が奇異な目で見られるのは、今も約2400年前も変わらなそうだ、ということ。また、死とは直接関係なくても、70歳を超えた老齢の天才哲学者の言葉は重く、大変勉強になった。例えば、以下の箇所。

 

彼らは何かについて論争するとき、議論の対象となる事柄が実際どうであるということなど考えないで、ただどうすれば自分の考えをその場の人々にもおしつけることができるかということにばかり腐心するものだ。(訳:田中美知太郎  池田美恵)

 

 私も気をつけたい。

 

無職がプロレタリア文学を読んだら【読書ノート】「蟹工船/小林多喜二」

 

 

 「ドン・キホーテ」に続く、今更読む名作シリーズ。賃金労働者の苦悩と反抗を書いたプロレタリア文学の代表作と評される本作を、無職の私があえて読んでみた。

 

 この手の作品を読むと、「自分ならどうするか」と考えさせられる。今の私がそのまま蟹工船の世界にワープした場合は間違いなく作品中の漁夫らと同様、現場監督からの暴力と理不尽に怒って反旗を翻すと思う。が、当時の日本ではまだ、労働運動自体が根付いていなかった(作品中では、ロシア領土のカムチャッカ半島に漂流した漁夫が、ロシア人から社会主義を教わったことが反旗を翻す契機となる)。乗っている船の世界だけでは、確かに労働者の数と力が監督側を圧倒的に上回る状況だが、永遠に船の上で生活するわけではないし、本土には家族と、今までと変わらない貧しい生活が待っているのだ。一度目のストライキは監督が軍の駆逐艦に助けを求めることで失敗に終わったように、軍国主義だった日本が国策として経済力の増強を図るなか、使役する側には軍の後ろ盾がある。一労働者として大胆な行動に出るのは非常に難しかったと思う。

 

 ところで、本作のようなプロレタリアート(賃金労働者階級)とブルジョワジー(資本家階級)の対立構造において、私のような「無職」はどのような立ち位置にあるのだろう?と考えた。

 

 プロレタリアートとしての生活から逃避して無職になることはある意味、資本主義への反抗だ。しかし、本作中でロシア人が日本人に教える社会主義の価値観は、端的にいうと「働かない人よりも働く人の方が偉い」。ここでいう「働かない人」というのは、金の力でプロレタリアートを使役し自分で汗をかかないブルジョワジーのことではあるのだが、単なる無職も「働かない人」には違いないわけだ。といっても今現在、無収入の私の生活を支えているのはプロレタリアートとして働いた時代の蓄えであって、今も決して株の配当や不動産収入といった不労所得を得ているわけではないから、私はブルジョワジーに分類されるような大層な人間でもない。

 

 こうした疑問を呈することは、私が社会主義(あるいは共産主義)について不勉強なことを露呈することになってしまいそうだが、富の再分配を重視する経済体制の下では、数年間の労働によって蓄財し、数年間を無職として過ごす「ミニリタイア」というスタイルは許容されるのだろうか。資本を労働者の使役に使うのではなく、単に自分が生きながらえるために消費していく状態というのは、肯定されるのだろうか。

 

 そもそも、働かない穀潰しは資本主義だろうが社会主義共産主義)だろうが肯定されるものではないかもしれない。しかし経済貢献の度合いだけで人の価値は測れるものだろうか?いよいよわからなくなってきた。

 

今にも通じる17世紀のユーモア【読書ノート】「ドン・キホーテ(短縮版)/セルバンテス」

 

 

 17世紀のスペイン人作家であるミゲル・デ・セルバンテスが書いた「ドン・キホーテ」は「史上最高の文学」と評されるだけあって、今も数多くの本のなかで引用・言及されている。以前読んだ「チャーリーとの旅」で米国人作家のジョン・スタインベックが旅のお供にする車「ロシナンテ号」も、ドン・キホーテの主人公の愛馬からとった名前だ。特に欧米では読者が「知っていて当たり前」、つまり教養みたいな扱いをされていると思うのだが、私は読んだことがなかったので今更読んでみた。本当は6巻くらいに分かれていたりとかなり長いが、牛島信明氏が編訳した岩波少年文庫版は文庫1冊分に短縮されており、簡単に読めた。

 

 「史上最高の文学」との評を見るとお堅い作品なのかと構えてしまうが、それは逆で、騎士道物語の読みすぎで現実とフィクションの区別がつかなくなった主人公ドン・キホーテ(この名前も本人が勝手に名乗っているだけで本名とは異なる)が従者のサンチョをしたがえて繰り広げる滑稽なドタバタ劇だ。

 

 読んでいて気付いたのは、今の日本の「お笑い」やギャグ漫画などにも通じるユーモアが、既にこの頃完成されていたことだ。もしくは、ドン・キホーテのエッセンスが今のお笑いシーンにも生きているらしい。お騒がせ主人公と、ブツブツ文句を言いながらもそれについていく子分の組み合わせ。勘違いが勘違いを呼び、カオスになっていく展開。ドン・キホーテがサンチョの顔面に嘔吐し、それでえずいたサンチョがドン・キホーテの頭上に嘔吐する地獄絵図からは、漫・画太郎氏が描くお下劣なギャグ漫画を思い出した。

 

 空腹でも不平を漏らさないやせがまん精神とか、(実際にはドン・キホーテの奇行によって数々の善人を困らせるが)弱きを助ける義侠心などの「騎士道」は日本の武士道とも通じる部分があって、日本人に馴染みやすいのではと感じた。また、ドン・キホーテほど極端ではないにしろ、熱に浮かされて周囲を振り回す人は我々の身の回りにもいたり、あるいは自分自身にもそういう経験があったりして、そういう親しみやすさが、この作品が世界中で長年愛されている理由の一つなのかもしれない。

 

 妙に印象に残ったのは、以下の言葉。姫の呪いを解くには、サンチョが自分で自分の尻を3,300回、鞭打ちしなければならないという嘘にまんまと騙されたドン・キホーテが、それを拒むサンチョを叱りつける。「このニンニク食らいの田吾作め!」。

 

 

超常現象への取材姿勢に感心【読書ノート】「臨死体験/立花隆」

 

 

 「臨死体験」とは、事故や病気で危篤に陥った人がしばしば体験する不思議な現象のこと。死んだ先祖や神と会話したという人もいれば、魂が肉体から体外離脱して宇宙を自由に飛び回ったという人もいる。体験者の多くが、それは「夢」とは明確に違ったものだと認識し、「死後の世界」を垣間見たものだと主張する人もいる。

 

 臨死体験は多くの場合、本人にとって気持ちのよいもので、それによって「死」を恐れなくなる人も多いんだとか。かといって体験者は死に急ぐわけではなく、「生きているうちは、生きているうちにやれることをやりたい」といったポジティブな感覚らしい。

  

 本の内容そのものも面白いが、臨死体験の一種である「体外離脱」など、既存の科学では解明されていない「超常現象」に対する立花隆氏の取材姿勢に感心させられた。時に「オカルト」と揶揄される現象に対して盲信的ではなく、むしろ懐疑的だ。かといって鼻から否定するのではなく、臨死体験者や、それを専門に研究する科学者らに入念なインタビューを重ね、噛み砕いて読者に説明してくれる。

 

 私のように科学を知らない人間は時に、「科学で解明できない現象は嘘だ」と思い込んでしまう。しかし実際には、科学で解明できている世の中の現象はほんの一握りで、まだまだわからないことのほうが多い。引力も電気も、科学者が解明してから宇宙に誕生したわけではない。あくまで「現象」が先にあって、それを理論的に説明・証明するのが科学なのだと思う。「死ぬ瞬間」の著者であるキューブラー・ロスなど、「死後の世界」や体外離脱を真面目に信じている医師や科学者は少なくない。

 

 というのは立花氏の受け売りで、氏は本の中で以下のように書いている。

 

  科学というのは、まだあまりにもプリミティブな発展段階にある。科学をよく知らない人は、現代科学が達成した華麗な業績の数々にただ目を奪われているばかりだが、私は最近サイエンス関係の取材が多いのでよくわかるのだが、科学はまだ知らないことばかりなのである。科学は自然の謎を解くことに挑戦しつづけてきたが、解かれた謎はほんの一部で、大部分はまだ依然として謎のままに残っている。

 

 

旅への憧憬は60歳手前でも冷めない【読書ノート】「チャーリーとの旅/ジョン・スタインベック」

 

 

 1960年、「アメリカ文学の巨人」と謳われる58歳の作家ジョン・スタインベックが、愛犬とともに母国アメリカを旅した記録。ピューリッツァー賞ノーベル文学賞を授かった人気作家が素性を隠し、居住スペースとなるキャビンを積んだピックアップトラックで放浪するのだから、面白くないわけがない。有名作家がディレクターやカメラマンといったスタッフを引き連れて、飛行機や新幹線、タクシーで移動する紀行文もどきの作品とは一線を画す。

 

 スタインベックは居住するニューヨークを出発し、カナダ国境まで北上。シカゴを経由してシアトルやサンフランシスコなど西海岸沿いの都市をめぐり、ニューオリンズなど南部の都市を経由して東海岸のニューヨークに帰る。国境・海岸沿いにアメリカ本土をぐるりと一周するルートだ。広大な自然に圧倒されることもあれば、無口、イタズラ好きといったその地方の人柄に一杯食わされる時もあるし、南部の保守的な人種差別主義者に憤ることもある。

 

 旅の道中で出会う人々との交流。その友好大使となるのが、愛犬のプードル「チャーリー」だ。放した愛犬がノロノロと他人に近づいていったところで、飼い主のスタインベックが「こらこら、いけないよ」といって叱る。すると向こうの人が「いやいや、いいんですよ」といって自然な交流が始まるそうだ。ピックアップトラックを改造した一種のキャンピングカーや、それを用いた旅のスタイルは1960年のアメリカでは珍しかったらしく、大抵の人はスタインベックに興味を持ち、羨ましがる。スタインベックは地元人を車の居住スペースに招き、コーヒーあるいは酒を振る舞うことで、その人の素性や生活スタイル、哲学などを聞き出していく。

 

 熟年の作家らしく観察眼が鋭く、時に皮肉の効いた筆致が面白かった。また、本の冒頭の以下の書き出しが印象的だった。

 

 私がとても若く、ここではないどこかへ行きたいという衝動を抱えていた頃、大人たちは「そういう胸の疼きは大人になれば消えるもんだ」と請け合ってくれた。何年も経って大人になったら、「中年になれば治る」と言われた。中年にさしかかったら「もっと歳を重ねれば熱も冷める」となだめられた。しかし私も、今や五十八歳である。そろそろ耄碌して落ち着いたってよさそうなものだ。

 なのにちっとも熱は冷めない。

 

 旅への憧憬は何歳になっても冷めないらしい。

 

自分は親を捨てられるか【読書ノート】「楢山節考/深沢七郎」

 

 

 日本人の死生観に言及する多くの本で引用されていて、小説としても名作と評価されている。老人を山に捨てにいく「姥捨山(うばすてやま)伝説」を元にした作品で、老婆「おりん」とその家族らが、村でルール化されている高齢者の死にどう向き合っていくかが描かれている。思わず「自分が同じ立場だったらどうするか」と考えさせられる。

 

 70歳を迎えた老人を楢山(ならやま)に捨てにいく「楢山まいり」という行為に対する登場人物のスタンスは様々だ。食料の乏しいこの村では楢山まいりは美徳とされており、おりん本人は至って前向き。息子の辰平は、実の親を山に捨てることに乗り気ではない。孫夫婦は冷淡に見ている。同じ村の別の親子は、おりん・辰平親子とは対照的で、楢山まいりから逃げようとする親を、子が無理矢理実行させる。

 

 自分が辰平と同じ立場だったらどうするか。辰平と同じく、胸が張り裂けそうになりながらも村のルールに従うしかないかもしれない。ただ、高齢者を山に捨てにいくルールの根底は「食糧難」にある。新たな農地を開拓するとか、農法を改良するとかで食料難を解決し、親が70歳を迎えるまでにルール撤廃に持ち込めないだろうか。そんなことを考えてしまうのは、農業も村暮らしも飢餓も経験していない人間の都合の良い妄想だろうか。

 

  姥捨山伝説は現代の日本には存在しないと思うが、瀕死になった高齢の親に延命措置を施すかの選択を迫られたり、安楽死が合法化された場合、家族の安楽死に同意できるか、といった問題は現代でも生じるかもしれない。また、現代では最低限の食料はセーフティネットで確保できるとしても、高齢者の介護や入院に家族の時間とお金がかかるのは事実。いつの時代も家族の葛藤は避けられないのかもしれない。