アラサー隠居

都心のサラリーマンから田舎の山麓に住む「隠居」に転身したアラサー男が、孤独な生活や持病のIBS(過敏性腸症候群)にちなむ体験談、本などを紹介します。

ぐんま百名山で最も低い「庚申山」を登ってみた

 「ぐんま百名山」で最も低い藤岡市の庚申山(こうしんやま、標高189m)を登ってきた。「登る」と言っても、私は標高約400mの場所に住んでいるので、その2分の1ほどの高さだ。しかし林の中をジグザグに抜ける登山道などが、しっかりとした「山感」を醸し出していて、トレイルランの練習でも使えそうだと感じた。

 

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低くても充分な「山感」


 山頂に至る「男坂」というのがある。311の石段からなる急峻な階段だ。これが階下から見上げるのと、階上から見下ろすのとではまるで雰囲気が違った。

 

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(左)下から見上げた男坂 (右)上から見下ろした男坂

 下から見上げた時。開けた山頂の光に続く「希望の階段」という感じ。神々しくさえある。一方で、上から見下ろした時。深い闇に下りていく「絶望の階段」という感じ。草木や石段の色が妙に重々しく、不気味な雰囲気を醸し出す。

 

 天国地獄とあるように、昔から天の光は希望、地の闇は絶望の象徴として語られるが、それにしても、同じ石段の道でここまで見え方が違うのは面白い。トンネルのように連なる背の高い木が影をつくり、山頂の光とのコントラストを演出するからだろう。木がなければ石段全体が光にさらされるので、上下からの見え方の差は大分、縮まるように思う。

 

 ちなみに庚申山の「庚申」は、60パターンある「六十干支」の57番目。暦上、「庚申の日」は60日に一度の周期でやってくる。この日の夜に眠ると人の体内に住んでいる虫が、神様にその人の悪事をチクりに行き、罰として寿命を縮められてしまうという迷信があったのだとか。そのため、庚申の日に徹夜をして虫の報告を阻止する「庚申信仰」というのがあったらしい。地元住民が酒や食べ物を持ち寄った徹夜の集会を3年18回も継続した上で立てる石碑「庚申塔」は全国各所に見られ、男坂の脇にも確認できる。

 

 というのはネットで少し調べて得た知識なので、キチンと理解できているかは怪しい。それにしても、神様への報告を恐れて悪事を「しない」のではなく、人間が大なり小なり罪を背負う生き物であることを前提に隠蔽工作をはかるとは、潔い。迷信は、2カ月に一回のオールナイトパーティーの口実ともとれなくはない。仮に古人が庚申山の山頂で宴会を開いていたとすれば、上りの男坂は、酒とご馳走が待つ会場に続く明るい道。下りの男坂は、飲み過ぎた酒と寝不足で重い頭を抱えた暗い道となり、まさにその雰囲気と合致する。

 

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山頂にある看板

 

 なお、県境の栃木県側には別の「庚申山」がある。こちらは「こうしんやま」ではなく「こうしんざん」と読み、標高は1,892m。群馬の「こうしんやま」のちょうど10倍ある。