アラサー隠居

都心のサラリーマンから田舎の山麓に住む「隠居」に転身したアラサー男が、孤独な生活や持病のIBS(過敏性腸症候群)にちなむ体験談、本などを紹介します。

ランボー怒りのIBS(過敏性腸症候群)

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IBS過敏性腸症候群)に宣戦布告

 

 長い梅雨がようやく明けた、気持ちの良い夏の日の夜。私は車を走らせていた。辺境の地に引っ越した私を訪ねて遊びにきてくれた友人を、駅に送っていくためだ。腹の中が、沸々と煮立つような感じがする。腸に充満したガスが、まるで、腸壁のより敏感な箇所を探るかのようにうごめき、鈍い痛みと不快感をもたらす。

 

 別れの挨拶も簡単に済ませて友人を駅に降ろすと、腸の癇癪はいよいよ本格化してきた。自分一人の車内となれば、このガスを肛門から解放することを憚る必要はない。赤信号の停車中、左足を突っ張って尻を浮かせ、プスプスとガス圧を抜いていくと、その直後は一時的に、多少は楽になる。

 

 ガスの元となる固形物まで車のシートにぶちまけるわけにはいかない。家まで約20分。限界が近づけばコンビニに寄る覚悟はできていたが、なんとか家まで間に合った。トイレに駆け込むと、数日間溜め込んだ固形物が、まずは硬いもの。次に、柔らかいもの。最後に、液状のものと、硬軟のグラデーションで無計画な大脱出を演出する。

 

 珍しいことではない。人と長時間行動をともにすると、いつもこうなる。例え相手がいくら気の知れた、思いやりのある善良な人間であっても、ともに行動している間、私はいつもトイレのことを気にしている。そしてなんとか日中を事故なく乗り切ったとしても、夜にはその不安が現実となって襲ってくるのだ。

 

 都会育ちの友人は、最後に寄った観光地をあとにする時、空を見上げて「星が綺麗」と言っていた。田舎の星空の本当の姿は、こんなものではない。もっと暗い場所、それこそ山の高台などに車を停めれば、満天の星空を見上げることができるだろう。今日は天気も良い。

 

 純朴な友人に、田舎の本気の星空を見せてあげたい。一度、頭によぎったが、やめた。夕食を終えた直後だったこの時すでに、腸が癇癪を起こす予感があったからだ。その予感は的中したので、星空ツアーを見送ったのは正解だった。私の不躾な腸は、純朴で善良な友人に美しい星空を見せることすら許さない。そして、列車の時間にまだ余裕があるにもかかわらず、一刻も早く私の周囲から友人を排除して、気兼ねなく放屁し、トイレに駆け込める環境の構築を求める。

 

 これまでの人生を思い返すと、私の感情と行動はいかに腸に支配されてきたことか。母や当時の彼女が、私の体質を気遣い、私を想って作ってくれた手料理。脂質少なめ、野菜多めのヘルシーメニューで味も良い。しかし私は、相手が気遣ってくれるほど、食中・食後に腹を下せばその想いを裏切ってしまう気がして、一層のプレッシャーを感じる。そのプレッシャーを相手には微塵も感じさせず、「美味しい美味しい」と言いながらニコニコ顔で食事をできれば良いのだが、あいにく私にはそこまでの演技力もないのだ。

 

 自他ともに認める「気難しい人」の誕生だ。大好きな人との旅行やデート中。相手のことよりも、自分の腸の調子とトイレのことを考えている時間のほうが圧倒的に長い。中学3年間の不登校の端緒となったのも、このIBS過敏性腸症候群)だった。「集団行動が苦手」、「一人が好き」、「時間にルーズ」。私の人格を形成しているのは私自身なのか?それとも私の腸なのか?

 

 硬軟のグラデーションに富む固形物を排出した後、なぜか、今までにない激しい怒りが込み上げてきた。自分の腹をボコボコに殴って、「いい加減にしろ!」と叫ぶ。自分でも馬鹿らしい行為だと感じるが、このだらしない腸は調子に乗りすぎた。中学時代から15年以上、気まぐれな態度で私を苦しめている。

 

 私は今まで、腸と「自我」を混同していたのかもしれない。腸の弱さを自分のせいだと考えて、自己嫌悪に陥るとともに、他人に必死にこの弱点を隠そうと努めていた。しかしIBSはれっきとした病気だ。私はこのふしだらな腸、あるいは病に対して、もっと怒ってよいのではないだろうか。腸を「自分」としてではなく、自分が使役するべき「肉体的な器官」として捉えて、厳格な態度をもって律するべきではないだろうか。

 

 俗に、腸は「第二の脳」と言うらしい。は?腸は腸であって、脳は脳だろう。腸は、ただ淡々と、食べ物から十分に栄養を吸収して、差し障りのない速度とタイミングで排泄物を肛門に送り出してくれれば良い。私の身体をコントロールし、人格を形成するのはあくまで本物の脳であって、腸は脳にこき使われる立場であるべきだ。脳が腸に振り回されるのはご免だ。

 

 今まで要所々々で改善を図りつつ、結局は「体質だから」と諦めていた。その軟派姿勢の理由の一つは、「加齢とともに改善されるのではないか?」という淡い期待があったからだ。しかし30歳になって、しかも、気の迷い(これはIBSも一因)から仕事をやめてストレスフリーな環境を手にしても、症状は改善するどころか悪化しているような気さえする。

 

 もう我慢の限界だ。自分の弱い腸、そしてIBSが許せない。この怒りは時に、症状に無理解な他人に向けてしまうことがあったが、本当に憎むべきは、この腸と病気だったのだ。映画「ランボー」の主人公のように、筋肉とマシンガンで駆逐できないものだろうか。私は戦うことを決めた。