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人の死生観は短期間で変わる【読書ノート】「生きる勇気 死ぬ元気/五木寛之 帯津良一」

 

 

 大変お世話になった高齢の知人が自死を選んだのを知り、高齢者の死生観について考える機会が増えた。私は以前から「人はなぜ生きるのか」といったことを漠然と考えていたが、それは若者特有の迷いであって、寿命が近い高齢者には「いつ死んでもよい」という潔さがあったとしても、あえて自ら死を選ぶようなことはしないだろう、という根拠のない思い込みがあった。警察庁の発表(https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/R03/R02_jisatuno_joukyou.pdf)によれば、2020年の自殺者2万1,081人中、70歳以上は5,331人。年間自殺者の4分の1以上が70歳以上という計算になる。

 

 本書で対談しているのは、1932年(昭和7年)生まれの作家・五木寛之氏と、1936年(昭和11年)生まれの医師・帯津良一氏。先日亡くなった知人は五木氏と同い年で、生前はしばしば五木氏の名前を口にしていた。知人は、五木氏の文章の技巧が好きというよりは、五木氏が書く「綺麗な老い方」といった哲学に対して、同い年の人間として共感していたようだ。

 

 帯津氏は、西洋医学東洋医学を組み合わせた「ホリスティック医学」の実践者。ホリスティックはギリシャ語で「全体性」を意味するHolosを語源としている。「ホリスティック医学」について調べるとスピリチュアルで抽象的な説明が目に入るが、要するに、「科学的」なエビデンスのある医療行為だけに頼るのではなくて、患者の死生観や人生哲学、宗教的信念などを包括的に尊重する医学だと私は解釈した。

 

 2人の対談を読むと、今の日本における「死は絶対に避けるべきもの」といった価値観は、ここ最近になってようやく醸成されたものだと気付かされる。2021年に89歳を数える五木氏でさえ、少年時代の心配事といえば、特攻隊として指名を全うできるか、直前で怖くなって逃げないか、ということだったそう。死を美徳とする価値観が成立していたのは、はるか昔の過去のことではなく、今も存命する人が当事者として経験したことだ。

 

 仏教には、この世を「穢れたもの」と見て、厭い離れる「厭離穢土(おんりえど)」という言葉すらある。死者がたどり着く「極楽浄土」は苦しみのない理想世界とされているが、その理想像も時代によって変わるようだ。飢饉に見舞われた昔の人にとっての極楽浄土とは、「食うに困らない世界」だった。私は、より良い社会を築いてくれた先人への感謝は忘れたくないが、食うに困らない今の日本社会が極楽浄土とは思えない。

 

 五木氏は以下のように述べている。

科学技術が発達し、軽薄な世のなかにもなってきたと同時に、だからこそ、生死を哲学的に考えなければならない時代でもあるように思えるんです。

 科学技術の発達が世を「軽薄」にしているのかはわからないが、個人的にも、今は生き迷いやすい時代だと思う。何より私自身が生き迷っている。これは衣食住と健康に恵まれた人にだけ許される贅沢な悩みかもしれないが、現実問題、 「人生100年時代」と言われるほど、長寿な人間(あるいは長寿が期待される人間)が増えている。

 

 本書でも引用されていたが、老後に必要な生活費を貯めるために、現在の娯楽を我慢している若者もいるそうだ。戦争経験の揺り戻しで命や食事の尊さを無条件に説く時代が過ぎて、「やりたいことをやって、任意のタイミングで潔く死ぬ」ことが肯定される時代が訪れるのは、そう遠くないかもしれないと感じた。