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神社の建立すら仏教の影響かも?【読書ノート】「神仏習合/逵日出典」

参考になった知識

・人はもともと、「神」に必要な時だけ降臨を求めていた。人里に神社をつくり、そこに神の常在を求めるようになったのは仏教寺院の影響と考えられる。

・固有の能力を持つ人格神の登場も、仏教の影響と考えられる。仏像に相応するものとして神像がまつられる例もある。

・神社に附属した寺である「神宮寺」は地方発祥。人は、神が仏の力を得て「神威」を増すことで風雨を順調にし、農耕生活に安泰をもたらすことを期待した。もともと神への信仰は理論化されておらず、仏教が理論的な面を補った。

・11世紀ごろ(平安中期)になると、仏が根本(地)で、神は仏が仮の姿で現れた(垂迹)ものであるとする「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」が普及する。仏教優勢の構図が強まる。

鎌倉時代の頃から、反・本地垂迹説も出てくる。外国に対する意識の高まりなどもあり、日本固有の神への意識が高揚する。元寇の襲来を防いだ暴風雨(神風)がこの流れを決定的にする。

 

感想

 神社に行ったら五重の塔が併設されていたり、山に登ったら仏像と祠がそれぞれまつられていたり。今まで漠然とした疑問を感じつつも、かしこまって知ろうとしなかった「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」。この本を読み、ある程度理解することができた。

 土着ゆえに、ふんわりしていた神への信仰は、仏教が理論化の手助けをしたらしい。神社を建立する習慣までもが、仏教の影響かもしれないというのは驚き。明治の廃仏毀釈以前にも、政治的事情などを背景に神と仏教の対立はしばしばあったようだが、総じて見れば「もちつもたれつ」の関係で歩んできた時間の方が圧倒的に長いようだ。

 世界的には宗教戦争が珍しくないなか、神への信仰と仏教の融和がなぜ日本で可能だったのか。著者は、両者がともに他を排斥する一神教ではなく、多神教であること。また、日本人が、妥協を許さない思考形態ではなく、融通性に富む思考形態であり、温厚で包容力のあるものを尊ぶ傾向にあったこと、などが要因だと主張している。

 「生まれたときは神社、死ぬときは寺」みたいな話は、日本人の宗教観の曖昧さを表すものとして、滑稽に語られる時がある。しかし神仏習合の歴史を振りかえると、この融通性こそ日本人の尊ぶべきものだと思えてくる。

 

※私が読んだのは1986年に六興出版から発行されたもの(https://www.amazon.co.jp/神仏習合-逵-日出典/dp/4653025282)で、今は絶版で中古しか手に入らないもよう。下記のリンクは、2007年に講談社から発刊された、同じ著者による似たテーマの本。