アラサー隠居

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死は穢らわしいのか【読書ノート】「納棺夫日記/青木新門」

 

 

参考になった知識

・「納棺夫」という言葉は辞書になく、著者が客からそう呼ばれたのを受け入れていくうちに生まれた造語。

・死体を綺麗にする「湯灌」はかつて、死者の親族が担うものだった。しかし昨今において納棺夫や火葬夫は、死や死体が忌み嫌われるように嫌われているのが現状。

・著者も納棺夫の仕事を始めた当初は親族や住民から忌避されるきらいがあったが、服装を整え、礼儀礼節に心がけ、堂々と真摯な態度で納棺するように努めると、周囲の見方が変わってきた。

・死体の様子も時代によって変わる。昔は口から食べ物がとれない状態になったら枯れ枝のように痩せ細っていくしかなかったが、今は点滴などで栄養補給されるため、極端に痩せ細らない。また、かつて農村部の老人に多く見られた腰の曲がった体は昔ながらの座棺が適しており、今のような寝棺に収めるには苦労する場合がある。

感想

 死体を棺に収める「納棺夫」の仕事を富山県でしていた著者が、その体験談や死生観を書いた本。事実上は映画「おくりびと」の元になった作品だが、著者と製作側の意向が折り合わず正式な「原作」にはならなかったようだ。

 親族でも僧侶でも医者でもない立場から死と向き合ってきた著者の体験や言葉を通じて、死は果たして「穢らわしいもの」なのか。現代人は盲目的に生に執着し、死から目を背けてしまっていないか、といったことについて考えさせられる。

 納棺夫としての体験を書いた第1,2章があっさりしていて、死生観や宗教、芸術などについての自論を展開する第3章が結構長い。個人的には、自論よりも体験談にもっとボリュームを割いてほしかった。本編の後に掲載されている「『納棺夫日記』を著して」によると、同様の意見を持つ読者からの声は多く寄せられていたようだ。

 本筋とは逸れてしまうかもしれないが、その第3章の自論のなかでは著者の詩人・作家コンプレックスが目立つ気がした。著者は、詩人は「虚業」の世界で生きる人間であって、「実業」の世界に迷い込んでもうまくいかない、といったことを書いている。著者自身、かつて虚業を目指していたが、妻子を食わせるために実業(納棺夫)を始め、長く勤めた人間だ。著者にとって実業の成功は、虚業に生きる人間としての素質を否定することにつながる。この「納棺夫日記」の執筆は虚業だが、納棺夫としての体験は実業そのものであるので、体験談を書く第1,2章は淡白に済ませて、観念的な自論を展開する第3章に力を割いたのでは、と私は感じた。