アラサー隠居

都心のサラリーマンから田舎の山麓に住む「隠居」に転身したアラサー男が、孤独な生活や持病のIBS(過敏性腸症候群)にちなむ体験談、本などを紹介します。

極限状態での「怒り」は活力か【読書ノート】「ミニヤコンカ奇跡の生還/松田宏也」

 

 

 1982年、中国の高峰・ミニヤコンカ(標高7,556m)に挑んだ松田宏也氏は、19日間の遭難を経て、奇跡的に生還する。疲労、飢餓、凍傷で生死を彷徨うなかでの幻聴体験などが立花隆氏の「臨死体験」(超常現象への取材姿勢に感心【読書ノート】「臨死体験/立花隆」 - アラサー隠居)で引用されていたので興味を持ち、私はこの手のサバイバル系の実録が好きなので読んだ。

 

 極限状態のなか、「怒り」は一つのエネルギーになるのだと感じた。私の気付いた限り、怒りが生存の活力となった描写は2カ所あった。一つは、松田氏が両手両足を凍傷に侵された状態で、絶壁を降りなければいけない場面に遭遇したとき。登りの際に懸垂用のロープ(ザイル)を張ってあり、これが望みだったのだが、松田氏が助からないと判断して先に山を降りた仲間たちによってロープが外されているのを見つける。

 

「こんなみじめな殺され方されてたまるか!」。憤りが胸の中に火を放った。「闘ってやる!最後までオレは闘ってやる!絶対、生きて帰ってやる!」。

 

 もう一つは、命からがら辿り着いた小屋で、EPIガス(高所や寒冷地でも使用しやすいガス)のボンベが転がっているのを発見するシーン。

 

「危ねえな。だれがこんな所に捨てやがったんだ。爆発したら、どうするんだ」。僕は怒った。怒りの感情が、イグアナから人間へ、自分を取り戻させてくれた。

 

 松田氏が体験した極限状態とは次元が違うが、私も持病のIBS過敏性腸症候群)に対して「怒り」を覚えたことが、病気の克服へ具体的な行動をとる契機になった(ランボー怒りのIBS(過敏性腸症候群) - アラサー隠居)。「怒り」はあまり綺麗な感情ではなく、仏教では特に我々を苦しめる煩悩の一つとして考えられている。しかし怒りはある意味で人間らしい感情であり、時には重要な活力になり得るのだと思う。

 

 生還した松田氏は手足の凍傷が重く、両手の指のほとんどと、両足の膝下を切断する。しかしその後の懸命なリハビリによって登山家として復帰する。その再起過程も本になっているようなので、読んでみたいと思った。