He is reclusive

バンライフ、旅、持病のIBS(過敏性腸症候群)、読んだ本などについて

「死」にまつわる著名医師の冒険的な一生【読書ノート】「人生は廻る輪のように/E・キューブラー・ロス」

 

 

 「死ぬ瞬間-死とその過程について (中公文庫)」の著者として有名で、ターミナルケア終末医療)のパイオニア的存在である精神科医エリザベス・キューブラー・ロスの自伝。大戦で荒廃したヨーロッパをボランティアとして駆け回った青春時代、精神病患者や不治の病におかされた患者のケアにワーカホリック的に打ち込んだ青年時代、霊的世界への目覚め、二度の放火で家を失った壮年時代。少女の頃から高い志と正義感を持ち、自分の正しいと思う道をエネルギッシュに駆け抜けた波乱万丈な人生の記録は面白かった。

 

 牧歌的なスイスで「三つ子」として生まれたことが、彼女の人格形成に大きく影響したようだ。親ですら姉妹の区別を間違える時があるなか、著者は「子ども時代のすべての時間が『自分はだれか』を知ろうとする試みに費やされた」と語っている。既に弱者救済への志を固めていた少女時代、保守的な父親から「将来は自分の秘書になれ」と命じられた時は「刑の判決のように感じた」と述懐するなど、かなりのはねっかえり娘だったようだ。

 

 著者は医学を正式に学ぶ前から、第二次世界大戦終結後の荒廃したポーランドなどをボランティア団として巡る。野外で寝泊まりし、列車の屋根に乗ってワルシャワまで移動し、医療器具も治療薬も麻酔薬もないなかで病人の手術を行うなど、ワイルドで冒険的な体験談が多かった。医学部卒業後、研修医として赴任した小さな村をオートバイに往診鞄を縛り付けて駆け廻る描写などは、田舎特有のおおらかさが感じられて微笑ましかった。

 

 著者は、「死の瞬間」などの著作で知られるターミナルケアへの尽力を経て、死後の世界、霊的世界への関心を高めていく。本書にも、妖精の写真を撮ったとか、霊的存在と何度も会話したとか、体外離脱したとか、そういうエピソードが数多く書かれている。こうした科学的に未知な世界への傾倒は、それまで著者を支持していた人々からの批判を浴び、著者と同様に医師であった夫との仲違いにもつながる。

 

 著者の霊的な体験は、本当に事実なのだろうか。肯定的な見方としては、著者が紛れもない優秀な医師、つまり科学者であったこと。そして、霊的存在に対してはもともと著者自身が懐疑的であったし、そうした体験談を人に話すことは、異常者としてみなされてもおかしくないということを自覚している。著者の精神状態は正常に見える。

 

 否定的な見方としては、まず物的な証拠がないこと。「妖精の写真」が火事で焼失したというのは、話として都合よく思えた。また、特に夫と娘が著者の霊的な話に対して懐疑的だったという。そばにいた家族ですら疑わしい目を向けていたのだから、著者の本を読んだだけの私が信じるのは流石に難しいと感じた。

 

 著者の霊的な世界観は盲信することができないが、「生は学ぶためにある」とする人生観には感化された。著者は霊的世界への傾倒から家族と袂を分かった壮年期以降、エイズ患者の子供を受け入れるための施設兼自宅を放火されるなど、かなりの苦難を味わうのだ。

 

 人生に起こるすべての苦難、すべての悪夢、神がくだした罰のようにみえるすべての試練は、実際には神からの贈り物である。それらは成長の機会であり、成長こそがいのちのただひとつの目的なのだ。

 

 学ぶために地球に送られてきたわたしたちが、学びのテストに合格したとき、卒業がゆるされる。未来の蝶をつつんでいるさなぎのように、たましいを閉じこめている肉体をぬぎ捨てることがゆるされ、ときがくると、わたしたちはたましいを解き放つ。そうなったら、痛みも、恐れも、心配もなくなり・・・美しい蝶のように自由に飛翔して、神の家に帰っていく・・・そこではけっしてひとりになることはなく、わたしたちは成長をつづけ、歌い、踊る。愛した人たちのそばにいつもいて、想像を絶するほどの大きな愛につつまれて暮らす。

 

 著者は晩年、脳梗塞で倒れて体が不自由になった後、2004年に78歳で亡くなる。今頃、宇宙で踊っているのだろうか?