He is reclusive

バンライフ、旅、持病のIBS(過敏性腸症候群)、読んだ本などについて

自分はまさにHSPらしい【読書ノート】「ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。/エレイン・N・アーロン」

 

 

特に参考になった箇所

HSP(Highly Sensitive Person = 敏感すぎる人)は全人口の15〜20%の割合でみられ、ネズミやネコなどの高等動物にもほぼ同じ比率で存在する。

・「敏感さ」は遺伝的性質で、男女差はない。

HSPでも、うつ状態や不安感を強く訴える人々と、そうでない人々がいる。前者の人々は、問題のある子供時代を過ごしている場合が多い。

HSPにも二種類ある。一つは、物事に慎重になる「現状確認システム」が通常レベルで、未知の物事に向かわせる「行動活性システム」が低い僧侶タイプ。もう一つは、現状確認システムと行動活性システムの両方が高いが、相対的には現状確認システムが行動活性システムを上回るタイプ。好奇心も警戒心も強い。

HSPは、細かい違いに気付きやすかったり、良心的であったりと有意な資質があり、歴史的にも僧や判事といった「相談役階級」に適性があった。「戦士階級」に向いている非HSPと長所・短所を補い合い、良好な関係を築くことができる。

 

感想

 HSPの提唱者であるアメリカの心理学者、エレイン・N・アーロン氏による本家本元の本(の翻訳本)。HSPとは何か、そしてHSPの人が幸せに暮らすにはどうすればよいかのヒントが書かれている。本書で解説されているHSPの特徴は自分に合致するものばかりで、自分は正にHSPなのだと気付かされた。

 

 本の中に、HSPか否かを判断する「自己テスト」があった。「騒音に悩まされやすいか」、「カフェインに敏感に反応するか」といった設問に「はい」か「いいえ」で答えるもので、私は23項目中17項目が「はい」だった。12項目以上が「はい」の場合、「あなたはおそらくHSPでしょう」ということなので、私は自己テストの上ではHSPのようだ。自己テストより踏み込んだ診断方法について本書では言及がなかったが、自己テストの設問以外でも、「買い物で疲れる」、「政治的な立ち回りを忌避する」、「音楽に強く影響を受ける」といったHSPの特徴がいちいち自分に当てはまった。

 

 社会は、マイノリティである「敏感な人たち」を冷遇する傾向があり、これはマッチョ信仰のあるアメリカでは特に顕著なようだ。競争や利益拡大を追求するようになった昨今では、医師や弁護士、芸術家など従来はHSPの割合が大きかった職業さえ、非HSPにとってかわられていると、著者は指摘している(HSPは人を出し抜くことや金儲けが苦手な傾向がある)。本書では、「敏感さ」がアメリカとは違った感覚で評価されている国としてスウェーデン、中国に並び日本が紹介されているが、私は日本もアメリカほどではないにしろ、例外ではないと感じる。私自身、男として育って敏感さを否定される場面は多かったように感じるし、「敏感ではいけない」という反発心が自分自身を苦しめ、時には他人を傷つけることもあったと思う。

 

 HSPでも、うつなど神経症的な症状の出る人とそうでない人がいて、前者は子供時代のトラウマが要因になっているそうだ。これはスイスの精神科医・心理学者であるユングが提唱した理論に基づいている(著者はユング派の心理学者)。神経症的な症状と無縁ではない私も思考を巡らせてみたが、家族からの虐待などは決してなかったものの、幼い頃に父が亡くなり、家族が悲しむ様子を目の当たりにしたことがトラウマとして残っているようだと感じた。自分の精神を蝕む何かを突き止めるには「人生で一番最初の記憶」を探るのが一つの方法らしいが、そうなると私の場合はやはり、わずかに記憶に残っている父の顔や、夫が亡くなって悲しみにくれる母の後ろ姿が浮かぶのだ。こうした過去を受け止めて傷を癒すことを怠ると、不安感やうつ状態に悩まされたり自殺してしまう可能性が高くなるらしい。

 

 HSPも非HSPも、その人にとって「適度な刺激」がある生活に身を置くことが理想で、「山小屋で一ヶ月過ごす」といった過度に刺激を遠ざける生活は、その人をより敏感にしてしまうそうだ。山麓で、ほぼ人と会わない生活を約半年も続けている私は禁忌をおかしているのかもしれない。確かに、都会のものと比べればはるかに広々とした人口密度の低いスーパーに買い物にいくにしても、満員電車に比べれば余程マシな、さほど渋滞していない幹線道路を車で走るにしても、ストレスを感じるようになってしまっているのだ。

 

 ところで本書のタイトルは「ささいなことにも・・・」となっているが、原題はそのまま「The Highly Sensitive Person」。HSPについて提唱した本家本元の本にも関わらず、日本語タイトルにHSPを含めなくてよいのだろうか?実際、Amazonアルゴリズムはよくわからないが、Amazonで「HSP」と検索しても、検索結果になかなか本書が出てこず、亜流の本ばかり出てくる。これは、私のようなHSPがつい気にしてしまう「ささいなこと」なのだろうか?