アラサー隠居

都心のサラリーマンから田舎の山麓に住む「隠居」に転身したアラサー男が、孤独な生活や持病のIBS(過敏性腸症候群)にちなむ体験談、本などを紹介します。

北へ(2日目)日光白根山のジョン・スタインベック

 群馬県と栃木県の境にある日光白根山(標高2,578メートル)を登り、約3年ぶりに「森林限界」を超えた。地方勤務の時に登山に熱中していた時期があったが、東京本社へ転勤、それからまもなくコロナ禍になり、登山からは足が遠のいていた。隠居じみた生活を送るようになってから近場の赤城山榛名山などには登ったが、いずれも標高2,000メートル以下の山だ。本州の森林限界は標高2,500メートル程度とされている。

 

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 登山に熱中していたといっても、素人が趣味で個人的に登っていただけなので「山が自分の居場所だ」などと言えるような生粋の山屋ではない。ただ、日光白根山森林限界を超えて視界が開け、雲ひとつない晴天の太陽を身体中に浴びた時、なんとなく「帰ってきた」という感覚がした。生命は海から誕生したというが、当然ながらそれには太陽光や大地など自然のシステム全てが関与しており、そうしたものを間近に感じられたからかもしれない。

 

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 登山口から山頂まで3分の1ほど進んだ時、道端で休んでいるお爺さんに「山頂まであとどれくらいですかね?」と声をかけられた。普通のペースで登ってあと2時間くらいはかかりそうだという旨を告げると、「あぁ、やっぱり70歳が思いつきで登るもんじゃないですね」と。なんとこのお爺さんは、20代の若者のごとく、衝動的な気持ちで標高2,578メートルに登りたくなってしまったらしい。私は、ジョン・スタインベックの「チャーリーとの旅」の冒頭部に書かれている一節を思い出した。

 

 私がとても若く、ここではないどこかへ行きたいという衝動を抱えていた頃、大人たちは「そういう胸の疼きは大人になれば消えるもんだ」と請け合ってくれた。何年も経って大人になったら、「中年になれば治る」と言われた。中年にさしかかったら「もっと歳を重ねれば熱も冷める」となだめられた。しかし私も、今や五十八歳である。そろそろ耄碌して落ち着いたってよさそうなものだ。なのにちっとも熱は冷めない。

 

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弥陀ケ池

 

 ちなみに私はこの日、朝から下痢をしていた。久々に高山を登る緊張と、不慣れな車中泊による寝不足などが影響したのだと思う。登山口に向かうロープウェイに乗っている時にももよおして、下車後にトイレに駆け込んだくらいだから、登るのをやめようか直前まで迷っていた。しかし、いざという時のために携帯トイレを持参しているし、なんなら「まだ一回も使ったことのない携帯トイレの経験を積んでおきたい」くらいの気持ちで臨んだら、無事に尿すらもよおさず下山できた。「久しぶり」だといつも以上にナーバスになってしまうが、やはり多少のリスクを背負ってでも踏み出す時は必要なのだと思う。

 

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ロープウェイ駅付近から望む山頂

 

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