He is reclusive

バンライフ、旅、持病のIBS(過敏性腸症候群)、読んだ本などについて

孤独なお婆さんと孤独な男が出会う

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 いつも通りランニングを終えて駅前に停めていた車に乗り込もうとすると、ベンチに座るお婆さんに声をかけられた。  

 

 「どこから来たんか?」

 「えーと、まぁ、静岡からです」

 「仕事かい?」

 「いえ、個人的に旅をしているだけです」

 「今日はこれからどこに行くんや?」

 「とりあえず、道の駅に戻ろうかと」

 「私も行きたいから乗せてってくれんかい?そこに100円ショップがあるやろ。こんな田舎やし、電車なんて滅多にこないんや。ついでやし、婆さん一人くらいええやろ」

 

  断る理由もなかったので、応じることにした。助手席の足元に置いていた荷物を急いで後部座席に片付ける。

 

  お婆さんは私の車に乗り込むや否や、話し始めた。持病があって昨日まで9日間、入院していたこと。これまでも何度も入院しており、複数の持病があるため、いくつもの診療科に通っている。医者や看護婦には良い人もいるが、冷たい人も多い。男も嫉妬するが、女の嫉妬は怖い。独り身で生活に不自由しているが、遠方に暮らす親戚たちは助けてくれない。

 

  お婆さんの身の上話は道の駅に着くまでの約30分の間、絶え間なく続いた。持病が嘘のような、よく通る大きな声だった。

 

  目的地に着くとお婆さんは「お金を払う」と言って聞かなかったが、「お金をもらったら白タクになってしまう」と固辞すると納得してくれた。「それならば」と、カバンの底の方からキャラメルの箱を差し出してくれた。

 

  思うに、お婆さんがたまたま私と同じ方向に出かけたかったというのは嘘だ。確かに、お婆さんと出会った駅舎から道の駅までは鉄道でつながっているが、次の列車まで2時間近くあったのだ。退屈な入院生活を終えて家に帰ったものの、話相手などいないし、寂しさを紛らわすために外の空気を吸っていたら、目の前に小型カメラを構えながら走っている奇妙な若者があらわれた。行き先を尋ねると、手頃な距離だし、ついでに買い物もできる。冒険心も働いて、送迎を打診したのだろう。お婆さんの言葉から引用すれば「住民全員が顔見知り」という田舎町にあって、私のようなよそ者の方が、身の回りの愚痴を聞いてもらうには都合が良かったのかもしれない。

 

  実は田舎で停車していると通りすがりの老人に「乗せてくれ」と頼まれたことは会社員時代にもあった。その時は業務中だったのと、話ぶりなどからその老人の認知能力が疑わしいこともあって、面倒を避けるために断ってしまった。業務中だったので仕方がないといえばそれまでだが、そのことは私の心のなかで罪悪感とまではいかないが、しこりとして残っていた。

 

  私の車を降りる際に「優しい人に巡り会えて良かったわ〜」などと、しきりに感謝するお婆さんの言葉に、私も気持ち良くなっていた。こうして社会のレールから外れて道楽の旅をしていると、世間様に対する後ろめたさがある。しかし、無職・暇人・よそ者だからこそできる人助けもあるのかもしれない、と感じた。

 

  先日、伊豆半島の縦断に際して川端康成の「伊豆の踊子」を何度も読み返した。川端康成本人がモデルである小説の主人公は、孤児ゆえに自分自身の性格が歪んでいるのではないかというコンプレックスを抱えていた。しかし踊子たち一行と旅をともにするうちに「良い人」と言ってもらったことで、このコンプレックスが癒されるのだ。

 

  伊豆の踊子の主人公が旅で得た癒しとはこのようなものだったのかもしれないと、甘いキャラメルを舐めながら考えていた。