アラサー隠居はIBSに怒る

都心のサラリーマンから田舎の山麓に住む「隠居」に転身したアラサー男が、孤独な生活や持病のIBS(過敏性腸症候群)にちなむ体験談、本などを紹介します。

五木寛之氏は「アラサー隠居」を経て作家デビュー

 

 

 「五木寛之の金沢さんぽ」という本を読んでいたら、思わぬ発見があった。五木氏も、今の私と同じ「30歳前後」という年齢の時に、東京での生活に疲れて一時、配偶者の実家がある金沢(石川県)に身を引き隠居じみた生活を送っていたようだ。

 

 本には、以下のように書いてある。

 

 私が東京を離れる気になったのは、ひとつは精神的肉体的に疲れ果てていたためかもしれない。私の肺は、古ゴムのように力を失って、空気を充分に吸うことができないような感じだった。(中略)

 だが、肺とは別なところにポッカリ暗い大きな穴があいていて、そこから冷たい風が絶えず吹いてくるのを私は感じていた。

 そんな状態を何といえばいいだろう。一種の無気力状態とでも、また放心状態とでもいうような気分が続き、何もかも、生活のすべてがわずらわしく、うとましく思われたのである。

 私は病気を理由に、当時関係していた仕事のぜんぶから身を引き、金沢へ移住することに決めた。それは、ある意味では早すぎる退場であり、理由のない脱走のようなものだった。

 

 著名な作家と自分の境遇を照らし合わせるのはおこがましいことだが、30歳前後という年齢。精神的肉体的な疲弊から無気力状態に陥り、仕事を放り出して東京から地方に撤退。今の私の境遇と、かなり似ていると思った。 

 

 五木氏の金沢在住時の金銭事情については、以下の通り。働くのを完全にやめたわけではなく、細々とした仕事は続けていたようだ。

 

 私は一家の主としての体面を保つためとぼしいながらも生活費の一部を捻出しなければならず、東京の業界紙やPR雑誌に原稿を送り、時に放送台本を書き、歌の作詞やインチキな翻訳などをしてわずかな金を稼いだ。その年の年間収入は、税務署の査定額がたぶん十四、五万円くらいのものだったのではないだろうか。 

 私は一日の小遣いを三十円と限定し、その枠を守って暮らした。 

 

 現在の物価との違いは、家計収支の場合、消費者物価指数を使えば調整できるようだ。計算方法や指数データが日本銀行のウェブサイト(昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか? : 日本銀行 Bank of Japan)で紹介されていた。

 

 五木氏は1932年生まれなので、金沢で暮らしたのは1962年前後となる。1962年の消費者物価指数は20.6で、2020年は102.3。約5倍の差だ。

 

 五木氏の言う「税務署の査定額」が、個人事業主としての経費や基礎控除を引いた後の数字なのか、単純にその年に稼いだ総額なのかはわからない。サラリーマンの額面年収と変わらない概念と仮定した場合、今の貨幣価値に換算すると15万円×5で年収約75万円ということになる。

 

 一方、「一日の小遣い」である30円は、今の貨幣価値で150円。あまりにも少なく思えるが、当時の五木氏は公共交通機関すら使わず、「コーヒーを飲むためには二日か三日、一円も使わずに我慢しなければならなかった」とあるので、計算は大体合ってそうだ。

 

 それまでも原稿執筆や作詞などを生業にしていた五木氏だが、この金沢での生活中に「さらばモスクワ愚連隊 【五木寛之ノベリスク】 (講談社文庫)」を執筆し、小説家デビュー。同作は小説現代新人賞、近い時期に執筆した別の作品は直木賞に輝く。前線からの一時離脱がクリエイターの創造力を育むことは、「ミニリタイア」を提唱するStefan Sagmeister氏(仕事から一時離脱するミニリタイアという生き方 - アラサー隠居はIBSに怒る)も強調していたが、五木氏にとっても「飛躍の隠居生活」になったようだ。

 

【IBS本レビュー】「なんだかよくわからない『お腹の不調』はこの食事で治せる!/江田証」

 

 前回読んだ「【IBS本レビュー】低FODMAP食の教科書的な「自分で治す過敏性腸症候群の本/江田証」 - アラサー隠居はIBSに怒る」と同様、江田証氏の本。「自分で治す〜」の方は全ページカラーで多くの図がレイアウトされているのに対して、こちらは基本的に文章のみ。低FODMAP食の実践方法など重複する内容も多いが、本書にしか書かれていないこともあった。

 

 その一つが、IBS過敏性腸症候群)患者の腸内で過剰になりがちな「短鎖脂肪酸」にも様々な種類が存在すること。主なものに乳酸、酪酸、酢酸、プロピオン酸の4種類があり、IBS患者の腸内には乳酸をつくる「ラクトバチラス」と、酢酸・プロピオン酸をつくる「ヴァイヨネラ」という細菌が多いそうだ。残りの1種類である酪酸に関しては過剰にはならないようだが、それがどのように影響するのかが気になった。

 

 また、江田氏の患者のなかで「ライザップに通っていたら、なぜかお腹の症状も治った」という人が多いそうだ。これは、ライザップが指導している「炭水化物制限ダイエット」が影響しているらしい。炭水化物はほぼ糖質なので、これを制限すると発酵性糖質であるFODMAPも自ずと除去される。炭水化物を1日20グラムに制限することで下痢型IBSが改善したという論文もあるんだとか。「【IBS本レビュー】「バイバイ!過敏性腸症候群(IBS)/綿樽剛」 - アラサー隠居はIBSに怒る」の著者も、糖質制限で症状が改善したと書いていた。

 

 一部、「自分で治す〜」で書かれている内容と異なる点が見受けられた。まず、FODMAPのM(単糖類)に該当する「果糖」が比較的少ないフルーツの摂取量の上限について。「自分で治す〜」の方では「バナナ1本またはオレンジ1個まで」が「1日の上限」と書かれていた。一方、今回読んだ「なんだかよくわからない〜」の方では、「一度に食べる量は、トータルで普通サイズのオレンジ1個程度にするとよいでしょう。1日に何度食べても大丈夫ですが、できるだけ2時間以上空けて食べてください」とある。オレンジ1個(バナナ1本)が「1日」の上限なのか、「一度」の上限なのかでは大きく変わる。2つの本が出版される間に見解が変わったのか、単なる編集ミスかはわからない。

 

 これは両書の差異とは別の話だが、そもそも低FODMAP食に該当するオレンジやバナナを食べすぎてはいけない理由がわからない。両書とも、果糖の吸収にはブドウ糖が関わっており、果糖とブドウ糖のバランスさえとれていれば(果糖の量がブドウ糖の量を下回っていれば)吸収には問題ない、といった解説がされているからだ。オレンジやバナナが含む果糖とブドウ糖の比率は、どれだけ食べようと一定なはず。結局は果糖の絶対量が影響するのだろうか?

 

 また、FODMAPの「P」に該当するポリオールの吸収について。「自分で治す〜」の方では「小腸で吸収するのがむずかしい形状をしていて、吸収する能力には個人差があります」とあるが、「なんだかよくわからない〜」の方では「その大きさや性質上、小腸で吸収ができません」と断じている。

 

 総じて参考になる内容が多かったが、本書のタイトル通り、他著書との「なんだかよくわからない」違いが気になったのが正直な感想だ。

 

【IBS本レビュー】低FODMAP食の教科書的な「自分で治す過敏性腸症候群の本/江田証」

 

 

 過敏性腸症候群IBS)や低FODMAP食について、多くの著作を持つ医師・江田証氏が監修した本。IBSが発症する原理や、低FODMAP食の具体的な実践方法などが収められている。全ページカラーでイラスト多めなので、素人にもわかりやすく感じた。食品を高・低 FODMAPで分けた一覧図もあり、低FODMAP食の教科書的に利用できそうだ。

 

 FODMAPとは4種類の発酵性糖質を表す言葉だが、小腸での消化のされ方は種類によって異なるようだ。オリゴ糖はそもそも、IBS患者に限らず、誰もが消化できないらしい。果糖は、ブドウ糖よりも濃度が高くなると吸収が遅くなるので、果糖とブドウ糖のバランスが大事とのこと。こういった消化の仕組みが丁寧に解説されている。

 

 同書によれば、IBS患者は、細胞のエネルギー源で、感染症予防などにも作用する「短鎖脂肪酸」をつくりやすい腸内細菌を持っている。IBS患者が一般的な人にとって良いとされている食物繊維や発酵食品を食べると、短鎖脂肪酸が「過剰に」つくられて腸内が酸性に傾き、ガス・下痢などの症状が出るとのこと。

 

 私の理解が正しければ、IBS患者が、体に良い作用のある短鎖脂肪酸をつくりやすいのは、ある意味で「強み」ではないか。食物繊維や発酵食品といった、一般的な人が「食べなくては健康を維持できない」ものを、IBS患者は「食べなくて良い」とすれば、生物的には「強い」と言えるのではないだろうか。私は「お腹の弱さ」にコンプレックスを感じているが、必ずしも引け目を感じる必要はないのかもしれない。

 

 同書で紹介されている低FODMAP食の実践方法は、まず3週間、徹底して高FODMAP食品を排除する。それから1週間ごとにフルクタンを含む食品→ガラクオリゴ糖を含む食品・・・と順番に試し、食べても問題のない糖の種類および食品を見極めていく。「パン2切れまたはにんにく1片」など、試すべき食品と分量が具体的に書かれていたので、実践しやすいと感じた。

 

 巻頭でコラム的に書かれている「あの偉人たちも過敏性腸症候群だった」が地味に面白い。江田氏いわく、石田三成とベートーベンはIBSの可能性があるらしい。松尾芭蕉が下痢で亡くなったのは私も知っていたが、これはIBSでなく食中毒との診断だ。

 

 なお、同書は現在、電子書籍でしか出版されていないようで、紙の方はAmazonの中古市場で3,000円以上した。そのため私はKindle版の電子書籍で購入したが、各ページがテキストも含めてそのまま画像化されており、テキスト検索やマーキングができず、不便に感じた。とはいえ電子書籍であればいつでもスマートフォンで見ることができるので、外食先やスーパーで高・低FODMAP食品の一覧図を参照したい時などに便利そうだ。

 

 

【IBS本レビュー】「バイバイ!過敏性腸症候群(IBS)/綿樽剛」

 

 

 「【IBS本レビュー】「過敏性腸症候群(IBS)は治らない?/Kazuya_M」 - アラサー隠居」と同じく、Kindle Unlimitedの読み放題で読んだ(単体購入も可能)。物心ついたときから「お腹の弱さ」に悩まされていた筆者が、いかにIBS過敏性腸症候群)を克服したか。生活や食事の工夫が書かれている。

 

 徒歩5分の通学路で便意を我慢できず何度も家に戻ったり、数々の「うんこ漏らし」を経験したりした筆者に比べると、自分の症状はまだマシなんだと感じた。ただ、私もIBS症状が酷くなる前からお腹の弱い子供だったので、筆者の「自分のお腹が弱いのは生まれつきなんだと思いこんでいました」、「頻繁にトイレに通う自分の特徴が『病気』だとは思っていなかった」といった言葉には強く共感する。

 

 症状の酷い筆者が、いかにIBSを克服したか。早起きで朝の時間に余裕を持つことや、食事の糖質制限が奏功したようだ。

 

 IBSの食事療法としては、発酵性糖質を含む食品を避ける低FODMAP食が有名で、私も試しているが、(発酵性糖質に限定しない)糖質制限の活用は初めて知った。糖質制限食のなかでも、筆者は肉(Meet)と卵(Egg)とチーズ(Cheese)を主食にする「MEC食」を実践し、効果を実感しているようだ。

 

  私は低FODMAP食を始めてから3週間くらいまでは下痢の頻度が減っていたが、最近は再び調子が悪くなってしまった。摂取カロリーを米に頼って多く食べるよう心がけていたので、それが原因の可能性もあるな、と感じた。今後、低FODMAP食と合わせて、米の量が体調に影響するか意識してみたい。また、筆者が推奨している、毎日の食事内容と排便を記録する「食べたものログ」も実践したい。

 

 筆者は、IBSとトイレにちなむ赤裸々な体験があまりにも恥ずかしいので、この本を「家族にも内緒で執筆」したらしい。この病気や、トイレにまつわる体験談がもう少しオープンに話せる社会になってほしいと願う。

 

【IBS本レビュー】「過敏性腸症候群(IBS)は治らない?/Kazuya_M」

 

 

 Kindle Unlimitedの読み放題で読んだ(単体購入も可能)。27歳でIBS過敏性腸症候群)を発症した著者が、41歳の執筆当時までに、いかに症状を軽減したか。食事や生活習慣の見直し、服薬の記録などが書かれている。

 

 発症当時の通勤電車での体験談は、多くのIBS患者が共感を覚えるものだと思う。「駅のトイレが汚いとブルーになります」というのは、私も強く共感する。神経質ゆえにトイレが近いが、神経質ゆえに公衆便所の汚さに辟易する。外出先のトイレのお世話になる回数は他の人より圧倒的に多いくせに、本当は、自分の家以外のトイレなんか使いたくないのだ。

 

 IBSへの理解が浅い医者への不信感も納得した。ただ、筆者は処方薬の「イリボー」を上手に使うことで症状の軽減に成功しているようだ。 低FODMAP食の実践も症状軽減に寄与しているらしい。

 

 「釣りが趣味」らしく、長時間トイレに行けない釣りへの対処法も参考になった。私は釣りに興味があり、人から誘いを受けたりするが、やはりトイレ事情がネックで踏み出せずにいる。釣りを楽しんでいるIBS患者がいるなら希望が持てる。

 

 

 

ランボー怒りのIBS(過敏性腸症候群)

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IBS過敏性腸症候群)に宣戦布告

 

 長い梅雨がようやく明けた、気持ちの良い夏の日の夜。私は車を走らせていた。辺境の地に引っ越した私を訪ねて遊びにきてくれた友人を、駅に送っていくためだ。腹の中が、沸々と煮立つような感じがする。腸に充満したガスが、まるで、腸壁のより敏感な箇所を探るかのようにうごめき、鈍い痛みと不快感をもたらす。

 

 別れの挨拶も簡単に済ませて友人を駅に降ろすと、腸の癇癪はいよいよ本格化してきた。自分一人の車内となれば、このガスを肛門から解放することを憚る必要はない。赤信号の停車中、左足を突っ張って尻を浮かせ、プスプスとガス圧を抜いていくと、その直後は一時的に、多少は楽になる。

 

 ガスの元となる固形物まで車のシートにぶちまけるわけにはいかない。家まで約20分。限界が近づけばコンビニに寄る覚悟はできていたが、なんとか家まで間に合った。トイレに駆け込むと、数日間溜め込んだ固形物が、まずは硬いもの。次に、柔らかいもの。最後に、液状のものと、硬軟のグラデーションで無計画な大脱出を演出する。

 

 珍しいことではない。人と長時間行動をともにすると、いつもこうなる。例え相手がいくら気の知れた、思いやりのある善良な人間であっても、ともに行動している間、私はいつもトイレのことを気にしている。そしてなんとか日中を事故なく乗り切ったとしても、夜にはその不安が現実となって襲ってくるのだ。

 

 都会育ちの友人は、最後に寄った観光地をあとにする時、空を見上げて「星が綺麗」と言っていた。田舎の星空の本当の姿は、こんなものではない。もっと暗い場所、それこそ山の高台などに車を停めれば、満天の星空を見上げることができるだろう。今日は天気も良い。

 

 純朴な友人に、田舎の本気の星空を見せてあげたい。一度、頭によぎったが、やめた。夕食を終えた直後だったこの時すでに、腸が癇癪を起こす予感があったからだ。その予感は的中したので、星空ツアーを見送ったのは正解だった。私の不躾な腸は、純朴で善良な友人に美しい星空を見せることすら許さない。そして、列車の時間にまだ余裕があるにもかかわらず、一刻も早く私の周囲から友人を排除して、気兼ねなく放屁し、トイレに駆け込める環境の構築を求める。

 

 これまでの人生を思い返すと、私の感情と行動はいかに腸に支配されてきたことか。母や当時の彼女が、私の体質を気遣い、私を想って作ってくれた手料理。脂質少なめ、野菜多めのヘルシーメニューで味も良い。しかし私は、相手が気遣ってくれるほど、食中・食後に腹を下せばその想いを裏切ってしまう気がして、一層のプレッシャーを感じる。そのプレッシャーを相手には微塵も感じさせず、「美味しい美味しい」と言いながらニコニコ顔で食事をできれば良いのだが、あいにく私にはそこまでの演技力もないのだ。

 

 自他ともに認める「気難しい人」の誕生だ。大好きな人との旅行やデート中。相手のことよりも、自分の腸の調子とトイレのことを考えている時間のほうが圧倒的に長い。中学3年間の不登校の端緒となったのも、このIBS過敏性腸症候群)だった。「集団行動が苦手」、「一人が好き」、「時間にルーズ」。私の人格を形成しているのは私自身なのか?それとも私の腸なのか?

 

 硬軟のグラデーションに富む固形物を排出した後、なぜか、今までにない激しい怒りが込み上げてきた。自分の腹をボコボコに殴って、「いい加減にしろ!」と叫ぶ。自分でも馬鹿らしい行為だと感じるが、このだらしない腸は調子に乗りすぎた。中学時代から15年以上、気まぐれな態度で私を苦しめている。

 

 私は今まで、腸と「自我」を混同していたのかもしれない。腸の弱さを自分のせいだと考えて、自己嫌悪に陥るとともに、他人に必死にこの弱点を隠そうと努めていた。しかしIBSはれっきとした病気だ。私はこのふしだらな腸、あるいは病に対して、もっと怒ってよいのではないだろうか。腸を「自分」としてではなく、自分が使役するべき「肉体的な器官」として捉えて、厳格な態度をもって律するべきではないだろうか。

 

 俗に、腸は「第二の脳」と言うらしい。は?腸は腸であって、脳は脳だろう。腸は、ただ淡々と、食べ物から十分に栄養を吸収して、差し障りのない速度とタイミングで排泄物を肛門に送り出してくれれば良い。私の身体をコントロールし、人格を形成するのはあくまで本物の脳であって、腸は脳にこき使われる立場であるべきだ。脳が腸に振り回されるのはご免だ。

 

 今まで要所々々で改善を図りつつ、結局は「体質だから」と諦めていた。その軟派姿勢の理由の一つは、「加齢とともに改善されるのではないか?」という淡い期待があったからだ。しかし30歳になって、しかも、気の迷い(これはIBSも一因)から仕事をやめてストレスフリーな環境を手にしても、症状は改善するどころか悪化しているような気さえする。

 

 もう我慢の限界だ。自分の弱い腸、そしてIBSが許せない。この怒りは時に、症状に無理解な他人に向けてしまうことがあったが、本当に憎むべきは、この腸と病気だったのだ。映画「ランボー」の主人公のように、筋肉とマシンガンで駆逐できないものだろうか。私は戦うことを決めた。

無職と雨と月曜日

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「雨の日と月曜日」は無職だって憂鬱

 

 1970年代に活躍したアメリカ人デュオのCarpentersのヒット曲に、「Rainy Days And Mondays」というのがある。雨の日と月曜日はなんだか憂鬱になる、そういう心情を歌ったものだ。天候の悪い日と、休日の翌日に気分が晴れないのはアメリカ人も日本人も同じらしい。

 

 私も例外ではない。「やることのない無職がなぜ?天候や曜日に関係なく毎日のんびりお気楽に過ごしていればよいじゃないか」と思われるかもしれないが、これにはちゃんと説明できるだけの理由がある。

 

 まず、雨の日。私はどうも、体調が天候の影響を受けやすい。雨の日は頭と体が重くなり、何に対しても無気力になりがちだ。サラリーマン時代は当然ながら「雨で気が向かないので休みます」というわけにはいかないので、嫌々仕事に出かけていた。

 

 暇な無職は、気が向かなければ家で寝るなり、だらだら過ごせばよい。だが、のんびり過ごしていれば憂鬱な気分が回復するかというと、そうでもないらしい。むしろ、時間を無碍にしていると頭と体はより重くなる一方だ。梅雨で雨が続く最近は、雨が憂鬱をつくり、家からほとんど一歩も出ない生活がその憂鬱に拍車をかける悪循環に陥っている。仕事のように雨だからといってキャンセルできない用事というのは、無気力を断ち切るカンフル剤のような役割を果たすことを身をもって知った。

 

 次に、月曜日の憂鬱。これは、世間に対する後ろめたさが理由だ。土日は多くの人にとっての休日なので、私も心おきなく休日(無期限)を謳歌できる。いい年をした男が平日の昼間から家の周囲をうろつくのは、ご近所さんの目が少しばかり気になるが、土日は胸を張ってうろついている。そんな気持ちで2日間を過ごしていると「忘れていませんか?あなたは日本経済に貢献していない無職なのですよ」と教えてくれるのが月曜日というわけだ(実際には最低限の消費でわずかながら経済貢献している)。火曜日、水曜日・・・と過ごしていると、この後ろめたさも次第に薄まっていく。

 

 それに私は、どこか出かけようにも、道路や店が混雑しがちな土日は避ける。つまり、行きたい場所や済ますべき用事があるとしても、土日はゆっくり休んで、月曜日から動き始める。これは気分の浮き沈みにはあまり影響しないが、「毎日が休日」の無職も一応、曜日を意識しているということ。

 

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 こちらはYouTubeにアップロードされていたCarpentersの「Rainy Days And Mondays」のPV。昔から思っていたが、映像の冒頭でハーモニカを吹いているおじさんの顔が、歌手のFrank Sinatraに似ている気がする。