アラサー隠居

バンライフ、旅、持病のIBS(過敏性腸症候群)、読んだ本などについて

ヴォルテール読んでーる【読書ノート】哲学書簡、カンディード、寛容論

 18世紀フランスの啓蒙思想家「ヴォルテール」の代表作を立て続けに3冊読んだところ、すっかり啓蒙されてしまった。

 

 

 「哲学書簡」は、ヴォルテールが亡命先のイギリスで目の当たりにした、祖国フランスが学ぶべき点を書いている。色々な宗教に対して寛容な風土、効率的に発達した商業、民主的な議会政治、科学的な教養が民衆まで染み渡っていること、そしてそれらが相互につながっていることを紹介し、フランスの後進性を批判。筆致が堅苦しくなく、毒舌で、ユーモアに富んでいて面白い。

 

 

 「カンディード」は小説形式で、ライプニッツを源流とする「最善説(オプティミズム)」を風刺する物語だ。最善説は、「神は自らの計画に従って、必然的に最善なるものを選択したはずであって、それゆえ現にある世界は、もろもろのありえたかもしれない世界にくらべて最善の世界であるはずだ」(本書解説より)という説。しかしヴォルテールは、暴力や災害などの理不尽によって苦しむ人の目の前で「あなたは不幸かもしれないが、この世は最善である」と説くことが、どんなに滑稽かを表している。

 

 話が要約版かと見まごうほどテンポ良く進み、「ドン・キホーテ」のようなおバカ要素もふんだんに散りばめられている。小説なので、主となるメッセージは比喩的に表されているのだが、その比喩がまわりくどくなくて読みやすい。

 

 私はこの小説にこめられたヴォルテールのメッセージを「人間の力が及ばない自然の摂理はどうせ残酷なのだから、せめて人間でコントロールできる部分は最善に努め、お互いに助け合って生きていきましょう」というようなものだと解釈した。ヴォルテールは博愛精神に溢れた人だと感じた。

 

 

 「寛容論」は、プロテスタントの男性がカトリックの人々に濡れ衣を着せられて処刑された「カラス事件」を題材に、異教徒への迫害の愚かさを説くものだ。ヴォルテールは正義感のみで自論を展開するのではなく、聖書の教えや過去の歴史を引用し、信仰や信条という形而上学的なものを強制的に統一しようとすることの弊害を理論的に説いている。ここで述べられているのは宗教差別にまつわる問題だが、現代の日本でも性的マイノリティなど少数派に対する社会の「不寛容」が存在しないだろうかと考えさせられた。

部外者としては困惑【読書ノート】明るい炭鉱/吉岡宏高

 

 

 北海道一周中に訪ねた夕張市石炭博物館で購入した、同館館長が書いた本。炭鉱職員の息子として育った著者は、倶利伽羅紋紋の男たちが命の危険と隣り合わせに重労働をする「暗い炭鉱」のイメージは限られた一時代の姿に過ぎず、実際には、整備された福利厚生の下での健全な生活があったと指摘する。

 

 炭鉱で働く人々が住む「炭住」の様子だけでなく、石炭の採掘システムや、炭鉱が廃れた経緯と背景についての説明が充実しており参考になった。

 

 「明るい炭鉱」という書名だが、具体的なエピソードの描写は著者とその父親の体験に終始している点が気になった。炭住ではホワイトカラーである「職員」とブルーカラーである「坑員」の居住区が分けられており、心理的な距離感もあったので一緒に遊ぶことはできなかったという。著者には家族と、ごく限られた友人以外との密な関係が無かったために、他人の生活の具体的な描写ができなかったのではないだろうか。著者は書名に関連して「辛く悲しいことがあっても、気を取り直し意を決して前に進むこと、そこから教訓なり処世なりを得て成長し社会の中で生かすことを、人が本来持つ『明るさ』であると考えている」と述べている。結局、著者自身の炭鉱での生活も基本的には「暗い」ものだったのではないだろうか。

 

 夕張市石炭博物館では、自虐的な描写が気になった。

「圧倒的な廃墟感に負けずドンドン進もう!」

「全国最低の行政サービスと全国最高の市民負担」

 一方、同じ夕張市内で見学ツアーを受け入れている旧北炭清水沢火力発電所活用事業の案内は「廃墟ではない」ことをかなり強調しており、観光客にも理解を求めている。一観光客としては、どういうリアクションをすれば良いのか困惑してしまった。

 

 「明るい炭鉱」の著者も指摘しているが、今の若い人はそもそも「暗い炭鉱」のイメージを持っていない。外部の人間からすると、夕張市(および周辺の空知地方)自体が「暗い炭鉱」のイメージに囚われたままで、炭鉱の観光活用へのコンセンサスも得られていないように思える。

 

ウポポイ、面白い

 北海道一周中に立ち寄った、白老町にあるアイヌ民族ミュージアム「ウポポイ(民族共生象徴空間)」は、舞踊や楽器の実演などが充実していて楽しかった。また、今春の「全話無料」期間中に一気読みしたゴールデンカムイ(金カム)で描かれていた道具や情報も多く、逆説的だが、ゴールデンカムイアイヌ民族の風習を忠実に描いているとして評価されている理由がわかった気がする。

 

ゴールデンカムイにも出てきた子熊の檻

 

 各種実演にはタイムスケジュールがあるので、事前に把握して計画を立てておいた方が良かったかもしれないと感じた。私は、ウポポイスタッフが野外ステージで踊りや楽器演奏を披露する「文化解説プログラム」→室内ホールでの「伝統芸能上演」→教室のような場所での「楽器演奏鑑賞」という流れで見ることができ、これだけでも十分に楽しめたが、参加したかった「ムックリ製作体験」と「楽器演奏体験〜はじめてのトンコリ」は時間の関係で見送らざるを得なかった。

 

 ウポポイのウェブサイトでは新型コロナ感染拡大防止のため「博物館入館整理券」を事前に取得するよう促しているが、これは当日その場でも、入場枠に空きがあれば発行してもらえる。

 

 ちなみにムックリは口につけて弾くと「ビヨヨ〜ン」という音がする口琴だ。お土産コーナーで1,000円で売っていたので購入した。トンコリはお琴のような弦楽器。ムックリの実演は「文化解説プログラム」と「伝統芸能上演」で見ることができるが、トンコリの実演は「楽器演奏鑑賞」のプログラムでしか見ることができない。

 

博物館に展示してあったエレキトンコリ。世界的なエレキギターのメーカーであるFender製のようだ

 

 アイヌ民族についてより知りたいと思ったので、お土産コーナーで、アイヌの村で育ったアイヌ文化研究者 萱野茂氏の「アイヌ歳時記」を購入した。自然への感謝を忘れないアイヌ民族の素朴な暮らしぶりが淡々と書かれていて面白かった。また、ウポポイと同じく、やはりゴールデンカムイで描かれている情報が多かった。萱野氏はアイヌ研究の有名人なので、ゴールデンカムイ作者が参考にしなかったはずはないだろう。

 

 

(参考)

ウポポイ(民族共生象徴空間) NATIONAL AINU MUSEUM and PARK – ウポポイ(民族共生象徴空間)公式サイト。日本の北海道にあるアイヌをテーマとしたナショナルセンター。利用案内・プログラム、イベント案内等。

「野外排泄は清浄」という考え方も【読書ノート】13億人のトイレ/佐藤大介

 

 

 「野外排泄」が当たり前だったインドでは、女性が用を足す際の危険や、人口集中都市の汚染などが課題に。モディ政権は国中にトイレを設置する衛生政策を推進するが、補助金の中抜きを目的とした実態のない「ペーパートイレ」が蔓延る。劣悪環境下でのトイレ清掃が不可触民に押し付けられているなど、「トイレ問題」を通じてインドの女性蔑視、行政の脆弱性、不可触民差別といった社会問題が浮かび上がる。

 

 意外だったのは、保守的な人々の中で「水洗トイレ=不浄、野外排泄=清浄」という考え方があること。本書のなかでヒンズー教僧侶は「野外で用を足せば、太陽の暑さによって肥料になり、微生物が分解して姿を消します。しかし、水洗は乾燥できず、いつまでも汚いものとして残るのです」と述べている。水洗の場合に汚物が浄化されるかはシステム次第だと思うが、野外で足された糞便が自然に還りやすいというのは納得してしまった。

 

 旅をしていて、コンビニや道の駅など至る所で清潔なトイレにアクセスできる日本が非常にありがたく感じる一方、緊急的な腹痛に見舞われやすいIBS過敏性腸症候群)患者としては、どこでも野外排泄が許される環境は、それはそれでありがたいのでは、と思わなくもない。鳥などはいつでもどこでも構わず糞を撒き散らし、それが誰かに咎められることもない。それが生き物としては自然な姿だ。あえて積極的に野外排泄をしたいとは思わないが、「トイレでしか排泄を許されない環境」は、それはそれで窮屈かもしれない。

 

車上生活=不幸とは言い切れない【読書ノート】ルポ車上生活/NHKスペシャル取材班

 

 

 NHKスペシャル取材班が「NHKスペシャル」と「クローズアップ現代+」では使いきれなかった素材を書いた本。2つの番組ではシリアスなストーリー展開が求められたようだが、本書では車上生活者の明るい一面なども紹介されている。

 

 登場する車上生活者の事情はさまざまだ。幼い子供連れの家族、配達業を請け負いながら全国行脚する夫婦、他人同士で共同生活する職人たち。「世間と距離を置きたい」、「家にいると気分が落ち込んでくる」といった理由で単独の車上生活を続ける人らには私も共感した。

 

 社会問題の提起が念頭にある取材班は、レジャー目的の車上生活者と区別して「車上生活を選ばざるを得ない人」を探すのだが、取材を進めるうち、(レジャー目的でなくても)好きで車上生活を送る人もいることに気付いていく。現に車上生活を能動的に選んでいる私としては、車が世間からの「逃げ場」として機能してくれているのはありがたいことだと感じる。連夜、道の駅を渡っていると、まれにだが、24時間解放された休憩所やトイレで夜を明かしていると思われる人を見かける時がある。そういう人は家どころか、自分の車すら持つことができないのだろうか。ただ、必ずしも「車上生活=家に住むより不幸」と言い切れないように、「ホームレス=車上生活より不幸」と決めつけてしまうのは早計かもしれない。

 

 

放浪しながら投票できそう

 第26回参議院議員選挙が6月22日に公示された。車に住むバンライファーであり、現在、住所地を離れて北海道一周中の私も「郵便局留」で不在者投票用紙を受け取り滞在地で投票できそうだ。

 

 不在者投票は、旅行や仕事などで住所地以外に滞在している人が滞在地の自治体で投票できる制度だ。利用するには、住所地の自治体が簡易書留やレターパックで郵送する投票用紙を入手する必要がある。ホテルなどに滞在していればそこに送ってもらえれば良いが、車中泊で旅をする私はどこに送ってもらえば良いのか。指定した郵便局で郵便物を保管してもらえるサービス「郵便局留」で対応してもらえるか、私が住民票を置くA市に問い合わせたところ「可能」との回答だった。

総務省|投票制度

郵便局留・郵便私書箱 | 日本郵便株式会社

 

 では、どこの郵便局に送ってもらうか。私の今の旅は「北海道一周」という大まかな行程はあるものの、「何月何日にどこにいる」といった細かいスケジュールはない。また、これは場合によって融通が効くのかわからないが、「どこの自治体で投票するか」も予め指定する必要がある。つまり投票用紙を予定通りの日時と場所で入手できても、不在者投票が可能な「公示日の翌日から投開票日の前日(期日前投票の期間と同じ)」の期間に予め指定した自治体の投票所に行かなくては投票できない。

 

 A市の場合、不在者投票用紙は、私がA市に送る「請求書」を確認できてから数日で現地に届くよう手配してくれるとのことだった。一方、郵便局留の荷物の保管期間は「到着した日の翌日から10日間」と結構な余裕がある。今参院選期日前投票期間は6月23日〜7月9日。私は6月下旬〜7月上旬に通過する予定のB市の郵便局で投票用紙を受け取り、そのままB市役所で投票することにした。これぐらい大まかな予定であれば私の放浪旅でも立てることができる。

 

 投票用紙の請求手続きはマイナポータルで可能な自治体もあるが、A市は対応していなかった。A市のウェブサイトには請求方法について「郵便」としか案内がなかったが、電話で問い合わせたところFAXで対応してもらうことになった。

 

 請求書は総務省が提供するフォーマットがあり、各自治体もウェブサイトでPDFファイルなどを公開している。私はA市のウェブサイトからPDFファイルを自分のスマートフォンにダウンロードし、「PrintSmash」のアプリを用いてローソンのコピー機で印刷、必要事項記入後に同じコピー機でFAX送信した。手間だが、郵送よりは安いし早い。ちなみに請求書には「現住所(=今現在の滞在先)」を書く欄があったが、これは「北海道B市内」とアバウトな書き方でも受理してもらえた(厳密に言えばB市はこれから訪れる先で、この時点ではB市にいなかったのだが、混乱を避けるために「B市内」とした)。

コンビニでPrintSmash(プリントスマッシュ)/SHARP

 

 請求手続き自体は公示日の前から可能だ。「不在者投票用紙を住所地の自治体に請求→自治体が請求書確認後、投票用紙を郵送→滞在地で投票用紙を受け取り投票所へ」というフローを考えると、請求から投票までに一週間くらいはかかると見ておいた方がよいだろうか。逆に言えば公示日以降の請求でも間に合いそうだ。

意外と耐えられる車中泊ストレス

 2021年12月にバンライフを開始してから4ヶ月以上が経った。HSP(High Sensetive Person=敏感過ぎる人)の気があり、特に音に対して神経質な私にとって、当初は毎日の車中泊生活に耐えられるか不安もあったが、今のところ快適に過ごせている。そして、車中泊のストレス要因として一般的にあげられる「近くの車のアイドリング音」や「地面の傾斜」といった外部刺激のなかでも、「自分はあまり気にならない刺激」と「苦手な刺激」の区別が分かってきた。車のアイドリング音など「持続的・規則的な刺激」はあまり気にならないが、外で交わされる他人同士の会話など「不規則な刺激」は苦手だ。

 

 あまり気にならない刺激

  • 近くの車のアイドリング音・・・流石に、真横で大型トラックが長時間アイドリングしていたら不快かもしれないが、周辺のトラックや乗用車のアイドリングはあまり気にならない。
  •  地面の傾斜・・・左右や、寝るときに脚側が沈み込むような方向の傾斜であれば気にならない。頭側が大きく沈み込むような方向の傾斜だと気になるが、そういう時は車か体の方向を変えて寝ている。
  •  車のルーフに打ちつける雨音・・・意識すればうるさいと感じる時もあるが、自然と意識しないようになっている。

 

  苦手な刺激

  • 他人同士の会話 ・・・深夜にたむろする若者の会話、地元住民同士の会話、隣に駐車しているキャンピングカーの団欒など、車の中にいても聞こえる外の会話は全般的に気になってしまう。

 

雨音は意外と気にならない

 

   「あまり気にならない刺激」と「苦手な刺激」の違いを考えた結果、あまり気にならない刺激は「持続的・規則的」で、苦手な刺激は「不規則」だということに気付いた。車のアイドリング音も雨音も、持続的に鳴っているものだ。地面の傾斜も、一度その場所に駐車したら変化するわけではない。半面、他人同士の会話は不規則だ。

 

  車中泊とは関係ないが、私はランニング時、「強い雨」よりも「強い風」を不快に感じる。これもやはり、雨は規則的で、風は不規則だからではないか。

 

  ではなぜ不規則な刺激に強いストレスを感じるのか。そもそも、人の感覚は「変化しないもの」より「変化するもの」に優先的に注意を向ける傾向があると思う。ボーっと目の前の景色を見ている時、鳥が飛び立てばそちらに目がいくし、音楽を聴いている時、一定のリズムを刻むドラムよりもソリストが奏でる旋律に耳を傾けるのが一般的ではないだろうか。  

 

 さらに、私個人の感覚としては、不規則な刺激が「予測通りにいかない」ことにストレスを感じているように思う。人の会話も風も、どのタイミングで発せられ、どのような強さでいつまで続くのかは不確かだ。これまでの流れを読むことである程度の予測は立てられるが、その予測と違う結果がもたらされた時に「予測と違った」というストレスが生じる。極端な話、外で交わされる他人同士の会話に台本があって、終了時間も決められているとする。これを自分が予め把握していて、その通りの結果になればストレスを受けないのではないか。私は無意識的に次の刺激を予測して、その通りにならないことに不快さを感じているような気がする。

 

  こういうことが見えてきたからといって、対処法はわからない。そもそも、私はオフィスや喫茶店などで他人の会話や足音、咳払いなどの生活音が気になってしまう方で、それに比べれば、車のドアを隔てた外の音から受ける不快感は軽いものだ。状況に耐えかねるようであれば場所を移動できるし、総じてバンライフは快適に感じている。むしろ、人よりも神経質だと思っていた自分に「持続的・規則的な刺激」に対する耐性がある可能性に気付いたことは良い収穫かもしれない。