アラサー隠居

都心のサラリーマンから田舎の山麓に住む「隠居」に転身したアラサー男が、孤独な生活や持病のIBS(過敏性腸症候群)にちなむ体験談、本などを紹介します。

北へ(7日目)加茂水族館でクラゲに学ぶ

 クラゲをライトアップした「クラネタリウム」で有名な、山形県鶴岡市立加茂水族館に行ってみた。課外授業で来ている元気な小学生の一団と入場時間が被ってしまったので、やり過ごすために館内の説明書きを熟読していたら、クラゲの見た目だけでなく繁殖方法にも神秘性を感じた。

 

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シロクラゲ

 クラゲは「ポリプ」というイソギンチャクのような形態から生まれるそうだ。ポリプはクラゲの幼生でも成体でもなく、ポリプはポリプで分裂して増殖する。ポリプから発生したクラゲは雌雄で交配し、新たに、ポリプに成長する種のようなのを生む。頭がこんがらがってしまいそうだが、下記のリンクの、クラゲとポリプの関係を植物で例えた解説がわかりやすかった。ポリプは「茎や葉」のようなものであり、クラゲは「花」のようなものである。このように理解すれば、クラゲは遺伝子交配のための一形態のように思えて、寿命がポリプと比較して短いことも納得できる。ただ、それぞれが肉体的に切り離されているという点が植物とは異なる。

 

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 人間の考え方では、肉体的に切り離された存在は、それぞれが別の「個」であるように見える。しかし同じポリプから生まれたクラゲたち、あるいは、同じポリプから分裂したポリプたちは、それぞれが別々の存在なのだろうか?肉体がつながっているから同一の存在、肉体がつながっていないから別の存在と言い切れるのだろうか。クラゲの不思議な生態に触れると、ある種の哲学的な思考を巡らせずにはいられない。

 

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直径5メートルの「クラゲドリームシアター

 また、館内には「クラゲに関する100のQ&A」みたいな展示があって、特に面白かった話を紹介したい。

 

・クラゲの名前の由来には諸説あるが、「暗げ」「暗気」が由来との説がある。私のような陰キャの仲間みたいだ。ただ、江戸中期の辞書には「目がないのでクラゲの世界は真っ暗なはず。だから、くらき・くらげ」と書かれているそうな。これが本当だとすれば、その生物の見た目や習性ではなく、「生物側の視点」が名前の由来になっているのは非常にユニークだと思う。

加茂水族館がたくさんのクラゲを展示するようになったのは、倒産の危機にあった1997年にサンゴの水槽から偶然あらわれたサカサクラゲを展示したところ、客から好評だったのがきっかけ。つまり、2021年の今まで加茂水族館が存続しているのは、クラゲのおかげらしい。ちなみに館長は非常に危険なカギノテクラゲに刺されて3日入院したことがあるんだとか。

 

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クラゲ以外の展示もある。写真はシロザケ。

 この日は加茂水族館を見た後、新潟方面に日本海沿いを南下したのだが、海上から吹き付ける風雨が激しすぎて参った。当然ながら海も大しけで、一度、堤防に打ちつけた波が道路まで舞い上がって私の愛車をもろに襲ったので、塩水を洗い流すためにガソリンスタンドのコイン洗車を使う羽目になった。沿岸部から逃れた後も風雨は止むことがなかったが、新潟県村上市で一瞬の晴れ間が見えた時、ダブルレインボー(二重の虹)が出現した。ダブルレインボーに遭遇した人には幸運が訪れる、と言われるらしい。しかし私は、ダブルレインボーを見れたことそれ自体が幸運だと感じる。

 

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厚い雲の中にあらわれたダブルレインボー

北へ(6日目)庄内平野の夕焼けを見ていた


 山形県酒田市にある「眺海の森(ちょうかいのもり)」の展望台に登り、庄内平野に落ちる夕日を見ていた。私はこの町に住む人を誰も知らないし、この町に住む誰もが私のことを知らない。しかし、町が夕焼けに染まり、建物や車の灯が一つ一つともって夜景へと変わっていく様子を眺めていると、勝手ながら、この町で生活する人々の生活や感情が心に浮かんできた。

 

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庄内平野に落ちる夕日

 日没まで町を眺めていると、Gerry Mulliganジェリー・マリガン)の「Night Lights」という曲が頭に浮かんだ。バリトンサックス奏者のGerry Mulliganだが、この曲ではピアノを弾いている。彼は自分がピアノを弾けたので、他人のピアノ演奏に寛容になれず、ジャズでは割と珍しい「ピアノレス」での編成に傾倒した、という話を聞いたことがある。

 

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 この日は遊佐町にある「十六羅漢岩」も見に行った。これは大法寛海という僧侶が地元の石工を指揮して、沿岸の岩石に仏像を彫ったものだ。仏像も素晴らしかったが、私にとっては約2年ぶりに海を見た感動の方が大きかった。 

 

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遊佐町から見た日本海

 美しい風景を眺めていると、都合の良い考えではあるが、自分の眼を通して別の誰かがこの景色を眺めているのではないか、と思ったりする。それは例えば、早世した父かもしれないし、両親や夫の介護が終わってからは自分の健康が悪くなって旅行に行けないまま亡くなった祖母かもしれないし、親族とは全く関係ない別の誰かかもしれない。夜、そんなことを考えながら目分量で米を炊飯していたら、祖母が炊く白ご飯と非常に似た炊き加減になった。柔らかめの炊き上がりを好む人だった。

 

北へ(4・5日目)面白山の渓谷は恐くて美しかった

 北上旅行4日目(2021年10月17日)は、福島県喜多方市から山形県村山郡西川町まで移動しただけで、あとは車内で過ごした。この日はせっかちな寒波によって北海道各地で初雪が降った日で、山形県も天候が優れなかったのだ。翌5日目は月山に登ろうとしたのだが、志津口コースの近くまで来てから、登山口に続くリフトの営業が昨日で終了したことを知る。リフトなしでも登れるようだが、昨日からの雨も回復しきっていなかったのでやめて、天童市の山寺に行くことにした(月山の東の盆地方面は晴れていた)。

 

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山寺

 松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という有名な句を詠んだ地として知られる山寺は厳かでありながら、風光明媚な場所だった。しかし不躾な私の目を一際引いたのは、山寺の入口前の道路にあった「面白山(Omoshiroyama)まで7km」の看板だ。面白山ってなんだろう?きっと面白いに違いない!

 

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 実際に行ったのは面白山山頂への登山コースではなく、中腹にある「面白山紅葉川渓谷トレッキングコース」なのだが、これがトレッキングという言葉のイメージを裏切るスリル満点の道だった。足を滑らせたら渓流に真っ逆さまという渓流沿いの細い道を行くのだが、この岩の道には季節柄、大量の落ち葉がかぶさっており、この落ち葉が昨日からの雨で濡れているものだから、ぬるぬると滑りやすくなっている(岩の上の濡れた落ち葉が滑りやすいことは、経験のある人なら共感してもらえる思う)。下の写真のように「落ちたら本当にヤバい」箇所にはロープが張られており体を確保できるのだが、「落ちてもまぁ死にはしないだろう」くらいの箇所にはロープがなく、私は怖すぎて写真を撮ることもできなかった。

 

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体感的な崖の斜度は、写真よりも急だった

 また、一歩踏み出すたびにグラグラと揺れる吊り橋をいくつか経由する必要がある。吊り橋自体は揺れて然り、かもしれないが、私は「危険ですから静かに渡って下さい。by山形市」の注意書きに怯えてしまった。これはあくまで、「吊り橋の上でふざけたりすると転落する危険がありますよ」という意味であっているのだろうか?まさか、「そっと渡らないと倒壊する強度です」という意味ではないことを祈った。

 

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 とはいえ、こうしたスリル満点の道を下流から上流に登った先では、迫力のある渓流や滝を間近に見えることができた。私は今回、下流側の入口から登ったが、上流側の入口から降りれば、危険箇所に入る前に「藤花の滝」など風光明媚な景色を見れるので、自信のない人は上流側から入って危険だと感じた箇所で引き返すのがお勧めだ。上流側の入口には「面白山高原駅」というのがあって、電車でもアクセスできる。

 

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藤花の滝

 余談だが、山形県まで来るといよいよ本格的に雪国となり、「東北感」が一段と増す気がする。私は(東北ではないが)雪国で数年間の充実した時間を過ごした経験があるので、道路に設置された融雪装置などに懐かしさを覚える。福島県まではまだ、関東文化が残っているように感じられた。

北へ(3日目)喜多方の花火は突然に

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 この日は観光名所などに立ち寄らず北方面への移動を済ませたら車内でのんびりしようと思って、栃木県日光市から福島県喜多方市を目指した。山間部にある町をいくつか通り過ぎたが、私が知るはずのないその町のひとつひとつに、なぜか強烈なノスタルジーを感じてしまった。

 

 恐らく、日本の多くの山間部の町というのは似たり寄ったりで、私が今まで見てきた別の町の情景と重ね合わせて郷愁を感じたのだと思う。しかし、大きく言えば「日本人」として同じようなルーツを持つ人間たちが似たような町を形成してきたのだから、実際の自分の故郷とそれ以外を厳密に区別する必要はないのでは、と感じた(そもそも私は山間部の町である首都圏のベッドタウンで育っている)。

 

 運転しながらそんなことを考えていたが、やはり目に入る景色が「今、初めて見るもの」とは思えない。もしかすると両親や祖父母、もしくはそれよりも上の先祖たちの記憶がうっすらと私のなかにあって、今、その記憶と合致する景色を見たことで「思い出している」のではないだろうか?確かプラトンの想起説もこういった類の主張だし(先祖の記憶が子孫の肉体に宿るのではなく、不死の魂が新しい肉体に宿るという意味だが)、気になってネットで少し調べてみると、親が後天的に獲得した記憶や経験が子に遺伝することを示唆する研究内容が見つかった(以下、参考リンク)。

 

ANAMNESIS(「想起説」の用語解説)

「学習行動」はRNAを介して子孫に遺伝する:線虫の研究から明らかに | WIRED.jp

「親が経験したことも遺伝して子孫に受け継がれる」という研究結果 - GIGAZINE

 

 もしかして、今、私が北の方角へ車を走らせているのも、自分自身の意志ではなく、先祖の記憶に突き動かされているのではないだろうか?などと考えながら道の駅・喜多の郷に到着すると、たまたまこの日は地域のお祭りをやっており、焼きそばやたこ焼きなどの出店があったり、歌謡ショーなどが行われていたり賑やかだった。夜にはなんと、この場所で花火を打ち上げるということだ。

 

 不意に花火に遭遇することは、先祖のではなく、間違いなく私の生後の記憶として印象深かったものがある。大学生のときに、千葉県の幕張メッセで派遣バイトの長時間労働を連日こなしていた時だ。ある日、バイトが終わった夜に、本当に「なんとなく」、帰るための駅方面ではなくマリンスタジアムの方面に歩いてみた。ちょうどマリンスタジアムの敷地内に入ったとき、目の前で豪華な花火が何発も上がった。この時は知らなかったのだが、マリンスタジアムではナイターの5回裏が終わったタイミングで花火を打ち上げることがあるのだ。試合中のスタジアムの外には私以外誰もおらず、暗闇にぽつんと立つ私一人のために花火が打ち上げられたような錯覚に陥り、とても感動した。

 

 喜多方の花火は決して私一人のためのものではなかったが、コロナ禍もあって数年は花火を見ていなかったので、偶然その場に居合わせることができて嬉しかったし、社会がアフターコロナ(もしくはウィズコロナ)に向かっている象徴のようにも見えて感動した。最初、一眼レフでの写真撮影を試みたのだが、なかなかうまくいかず、カメラと悪戦苦闘しているうちに花火が終わってしまいそうだったので途中でやめた。三脚で固定した定点の映像撮影に切り替えて、録画ボタンを押してからはずっと肉眼で楽しんだ。やはりどんな写真や映像も、生で見る迫力や美しさ、臨場感を凌駕できないし、花火の場合は特にこの差が顕著に思える。

 

 

北へ(2日目)日光白根山のジョン・スタインベック

 群馬県と栃木県の境にある日光白根山(標高2,578メートル)を登り、約3年ぶりに「森林限界」を超えた。地方勤務の時に登山に熱中していた時期があったが、東京本社へ転勤、それからまもなくコロナ禍になり、登山からは足が遠のいていた。隠居じみた生活を送るようになってから近場の赤城山榛名山などには登ったが、いずれも標高2,000メートル以下の山だ。本州の森林限界は標高2,500メートル程度とされている。

 

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 登山に熱中していたといっても、素人が趣味で個人的に登っていただけなので「山が自分の居場所だ」などと言えるような生粋の山屋ではない。ただ、日光白根山森林限界を超えて視界が開け、雲ひとつない晴天の太陽を身体中に浴びた時、なんとなく「帰ってきた」という感覚がした。生命は海から誕生したというが、当然ながらそれには太陽光や大地など自然のシステム全てが関与しており、そうしたものを間近に感じられたからかもしれない。

 

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 登山口から山頂まで3分の1ほど進んだ時、道端で休んでいるお爺さんに「山頂まであとどれくらいですかね?」と声をかけられた。普通のペースで登ってあと2時間くらいはかかりそうだという旨を告げると、「あぁ、やっぱり70歳が思いつきで登るもんじゃないですね」と。なんとこのお爺さんは、20代の若者のごとく、衝動的な気持ちで標高2,578メートルに登りたくなってしまったらしい。私は、ジョン・スタインベックの「チャーリーとの旅」の冒頭部に書かれている一節を思い出した。

 

 私がとても若く、ここではないどこかへ行きたいという衝動を抱えていた頃、大人たちは「そういう胸の疼きは大人になれば消えるもんだ」と請け合ってくれた。何年も経って大人になったら、「中年になれば治る」と言われた。中年にさしかかったら「もっと歳を重ねれば熱も冷める」となだめられた。しかし私も、今や五十八歳である。そろそろ耄碌して落ち着いたってよさそうなものだ。なのにちっとも熱は冷めない。

 

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弥陀ケ池

 

 ちなみに私はこの日、朝から下痢をしていた。久々に高山を登る緊張と、不慣れな車中泊による寝不足などが影響したのだと思う。登山口に向かうロープウェイに乗っている時にももよおして、下車後にトイレに駆け込んだくらいだから、登るのをやめようか直前まで迷っていた。しかし、いざという時のために携帯トイレを持参しているし、なんなら「まだ一回も使ったことのない携帯トイレの経験を積んでおきたい」くらいの気持ちで臨んだら、無事に尿すらもよおさず下山できた。「久しぶり」だといつも以上にナーバスになってしまうが、やはり多少のリスクを背負ってでも踏み出す時は必要なのだと思う。

 

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ロープウェイ駅付近から望む山頂

 

kizenarui.hatenablog.jp

 

北へ(1日目)吹割の滝はミステリー

 急に旅に出たくなった。というより、旅に出なくてはいけない気がした。このところ、家に閉じこもっていてもまるで気分が晴れない。暇なのを良いことに嫌な記憶ばかり掘り返して、無碍な時間を過ごしている。

 

 住んでいる群馬県から、車中泊で東北方面を目指すことにした。宮城県福島県の太平洋沿岸部は何度か訪ねたことがあるが、内陸や日本海側は足を踏み入れたことのない地域が多いからだ。住所地に帰る必要がある日まで、約10日間ある。10日経たなくても疲れて帰りたくなったら帰る、というゆるい感じで行く。

 

 元々、バンライフを念頭に車中泊のしやすい軽バンを買ったのだが、いざ車中泊を試そうとしても出発直前になぜか面倒になって思いとどまる、というのを繰り返していた。近い将来、今住む賃貸物件を退去して車に住むとしても急だと色々と弊害がありそうなので、準備期間が必要だ。今回の旅は、自分のバンライフへの適性や、車両設備の改良点を洗い出すためのトライアルでもある。

 

 初日は北上するといっても県内にとどまり、沼田市にある「吹割の滝」を訪ねた。

 

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 「東洋のナイアガラ」というのは流石に仰々しい気がするが、そう呼ばれているらしい。これだけ迫力のある荘厳な風景を間近で見られるのは素晴らしかったが、ひねくれ者のわたくしとしては、土産物屋や飲食店の看板、遊歩道沿いにある廃墟などの「妙なホラー感」が気になってしまった。

 

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 これは駐車場から吹割の滝へ向かう入口にある土産物屋と飲食店の列。朽ちかけた建物や謎の木材などが廃墟感を醸し出すが、ちゃんと営業していた。

 

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 遊歩道沿いには、「廃墟感のある建物」ではなく正真正銘の廃墟もある。朽ちた人形や雑誌が生活感を出している。なぜ扉が開いているのだろう?

 

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 これも遊歩道沿いにある蕎麦屋の看板だが、狙っているとしか思えない。このイカれた目つきは、「今からみんなにデスゲームで遊んでもらうよ」とか言い出すやつではないか?私は初め、これはウサギの人形だと思っていたが、よく考えると彼には長い耳がないので、ビーバーなど別の動物かもしれない。しかしどうだろう、彼は確かにウサギで、人間の手によって耳を失った過去がある。頭にかぶっている帽子代わりの鉢植えのようなものは、その傷跡を隠すためのものなのだ。彼は、デスゲームで追い詰められて「助けてくれ!」と命乞いをする人間に対して、こう言う。「え?聞こえないよ?だって僕には耳がないものwww」。

 

 「新そば」で通行人を誘惑するこのウサギだが、別の蕎麦屋の看板には以下のように書かれている。

 

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 屁理屈のようだが、「そばと食事がうまい」ということは、そばは「食事ではない何か」ということにならないだろうか?つまり、この地でいう「そば」とは、我々が知っている食べ物の「そば」とは別の意味を持つのだ・・・。こういう不謹慎な妄想が止まらない。

 

 つい私の悪い癖が出てしまったが、滝の景観は素晴らしいし、そばも、私はタイミングが合わなかったので食せなかったがきっと美味しいはずなので、気になった人は是非ご自身で確かめてほしい。

 

自分はまさにHSPらしい【読書ノート】「ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。/エレイン・N・アーロン」

 

 

特に参考になった箇所

HSP(Highly Sensitive Person = 敏感すぎる人)は全人口の15〜20%の割合でみられ、ネズミやネコなどの高等動物にもほぼ同じ比率で存在する。

・「敏感さ」は遺伝的性質で、男女差はない。

HSPでも、うつ状態や不安感を強く訴える人々と、そうでない人々がいる。前者の人々は、問題のある子供時代を過ごしている場合が多い。

HSPにも二種類ある。一つは、物事に慎重になる「現状確認システム」が通常レベルで、未知の物事に向かわせる「行動活性システム」が低い僧侶タイプ。もう一つは、現状確認システムと行動活性システムの両方が高いが、相対的には現状確認システムが行動活性システムを上回るタイプ。好奇心も警戒心も強い。

HSPは、細かい違いに気付きやすかったり、良心的であったりと有意な資質があり、歴史的にも僧や判事といった「相談役階級」に適性があった。「戦士階級」に向いている非HSPと長所・短所を補い合い、良好な関係を築くことができる。

 

感想

 HSPの提唱者であるアメリカの心理学者、エレイン・N・アーロン氏による本家本元の本(の翻訳本)。HSPとは何か、そしてHSPの人が幸せに暮らすにはどうすればよいかのヒントが書かれている。本書で解説されているHSPの特徴は自分に合致するものばかりで、自分は正にHSPなのだと気付かされた。

 

 本の中に、HSPか否かを判断する「自己テスト」があった。「騒音に悩まされやすいか」、「カフェインに敏感に反応するか」といった設問に「はい」か「いいえ」で答えるもので、私は23項目中17項目が「はい」だった。12項目以上が「はい」の場合、「あなたはおそらくHSPでしょう」ということなので、私は自己テストの上ではHSPのようだ。自己テストより踏み込んだ診断方法について本書では言及がなかったが、自己テストの設問以外でも、「買い物で疲れる」、「政治的な立ち回りを忌避する」、「音楽に強く影響を受ける」といったHSPの特徴がいちいち自分に当てはまった。

 

 社会は、マイノリティである「敏感な人たち」を冷遇する傾向があり、これはマッチョ信仰のあるアメリカでは特に顕著なようだ。競争や利益拡大を追求するようになった昨今では、医師や弁護士、芸術家など従来はHSPの割合が大きかった職業さえ、非HSPにとってかわられていると、著者は指摘している(HSPは人を出し抜くことや金儲けが苦手な傾向がある)。本書では、「敏感さ」がアメリカとは違った感覚で評価されている国としてスウェーデン、中国に並び日本が紹介されているが、私は日本もアメリカほどではないにしろ、例外ではないと感じる。私自身、男として育って敏感さを否定される場面は多かったように感じるし、「敏感ではいけない」という反発心が自分自身を苦しめ、時には他人を傷つけることもあったと思う。

 

 HSPでも、うつなど神経症的な症状の出る人とそうでない人がいて、前者は子供時代のトラウマが要因になっているそうだ。これはスイスの精神科医・心理学者であるユングが提唱した理論に基づいている(著者はユング派の心理学者)。神経症的な症状と無縁ではない私も思考を巡らせてみたが、家族からの虐待などは決してなかったものの、幼い頃に父が亡くなり、家族が悲しむ様子を目の当たりにしたことがトラウマとして残っているようだと感じた。自分の精神を蝕む何かを突き止めるには「人生で一番最初の記憶」を探るのが一つの方法らしいが、そうなると私の場合はやはり、わずかに記憶に残っている父の顔や、夫が亡くなって悲しみにくれる母の後ろ姿が浮かぶのだ。こうした過去を受け止めて傷を癒すことを怠ると、不安感やうつ状態に悩まされたり自殺してしまう可能性が高くなるらしい。

 

 HSPも非HSPも、その人にとって「適度な刺激」がある生活に身を置くことが理想で、「山小屋で一ヶ月過ごす」といった過度に刺激を遠ざける生活は、その人をより敏感にしてしまうそうだ。山麓で、ほぼ人と会わない生活を約半年も続けている私は禁忌をおかしているのかもしれない。確かに、都会のものと比べればはるかに広々とした人口密度の低いスーパーに買い物にいくにしても、満員電車に比べれば余程マシな、さほど渋滞していない幹線道路を車で走るにしても、ストレスを感じるようになってしまっているのだ。

 

 ところで本書のタイトルは「ささいなことにも・・・」となっているが、原題はそのまま「The Highly Sensitive Person」。HSPについて提唱した本家本元の本にも関わらず、日本語タイトルにHSPを含めなくてよいのだろうか?実際、Amazonアルゴリズムはよくわからないが、Amazonで「HSP」と検索しても、検索結果になかなか本書が出てこず、亜流の本ばかり出てくる。これは、私のようなHSPがつい気にしてしまう「ささいなこと」なのだろうか?