He is reclusive

バンライフ、旅、持病のIBS(過敏性腸症候群)、読んだ本などについて

歩き遍路で感じた危険 歩道のないトンネル 野犬の群れ

 2021年秋冬に行った歩き遍路・通し打ちは事故も怪我もなく無事に終えることができたが、危険を感じた場面もあった。

 

 

歩道のないトンネル

 遍路道のなかで最も危険だと感じたのは、歩道のないトンネルだ。愛媛県あたりに多かった印象を受けた。なかでも44番・大宝寺から45番・岩屋寺に向かう途中にある峠御堂トンネルの路側帯は両肩がようやく収まる程度の狭さで、真横をトラックなどが風を切って走り抜けていくのは生きた心地がしなかった。

 

歩道がなく、路側帯が非常に狭い峠御堂トンネル

 

 足場も良いとはいえず、側溝のフタの穴に足をひっかけるだけで惨事につながりかねない。しかも、大宝寺側から見ると入口付近がカーブしており見通しが悪い。私は、金剛杖を高く掲げてドライバーになるべく遠くから自分の存在に気付いてもらうようアピールするとともに、般若心経を唱えて恐怖を紛らわすことしかできなかった。

 

 この手のトンネルでは、事故防止のため歩行者に蛍光タスキを貸し出してくれているが、これがどれだけの効果を持つのだろうか。真偽のほどはわからないが、歩道のないトンネルで事故死した遍路が何人もいると言っている人がいた。峠御堂トンネルの蛍光タスキの保管箱の張り紙によると、少なくとも重体事故は発生しているようだ。

 

「先日、トンネル内で重体事故がおきました」とある

 

 峠御堂トンネルは林道を通れば迂回できるが、大宝寺に張ってあった案内では、その林道も崖崩れで危険になっているとのことだった。しかもこの日は雨の直後だったので、なおさら足場が悪くなっていると思い、私は車道を選んだのだ。どちらの道を選んでも別の危険が待っているとすれば恐ろしい。

 

大宝寺の張り紙

 

夜道で車と接触

 トンネルでは幸い事故に会うことはなかったが、夜道で車に軽く接触したことがあった。29日目、56番・泰山寺の通夜堂に泊まらせてもらうことになり、そこに荷物を置いて晩御飯に出かける時だった。歩道のない車道の左側を歩いていると、正面から来た軽トラックが私の方に突っ込んできた。対向車の合間を縫って側道に入ろうと勢いよく右折したその軽トラは、対向車のヘッドライトによる逆光などで直前まで私の姿に気づかなかったのだろう。軽トラは私の目の前で急ブレーキ。私は咄嗟に体をかばって両手を前に突き出し、その手先が軽トラのボンネットに軽くあたっただけで済んだ。「大丈夫ですか?」と謝罪してきたドライバーは70歳くらいのお爺さんだった。

 

 また、19日目、足摺岬の38番・金剛福寺を詣でて引き返す途中。予定が遅れ、既に日は落ちていた。横断歩道を青信号で渡っている時、後方から右折してきた乗用車が、私の目の前スレスレを走り抜けていった。私が直前で車に気付き体をかわしていなければ接触していただろう。すれ違いざまに運転席を見ると、ドライバーは右手にスマートフォンを持っていた。よそ見運転で横断歩道を右折する神経は信じ難いが、実際にそういう人はいるのだ。車社会の田舎では、歩行者の存在を想定していないような運転ぶりをしばしば目にする。

 

 一番懸命なのは、交通事故の危険が高まる日没後に歩かないことだろう。私もなるべくそれを心がけていたが、日の短い秋冬の歩き遍路ではどうしても日中に予定を消化できないことがあった。やむを得ず夜道を歩く際は、明るい服を着たり蛍光帯を身につけるなど、なるべく身体を目立たせるべきだ。私は黒いバックパックを背負っていたので、特に後方からの視認性は悪かったのではないかと反省している。また、ヘッドライトは自分の足元を照らすには役立つが、前方からは光源が点となって見えるくらいで、後方からはそれすらも見えない。ドライバーからの視認性はあまり高くないようだ。

 

 遍路道を何周もしている経験豊かな巡礼者は、歩道のない夜道やトンネルを歩く際は必ず右側を歩くようにしていると言っていた。正面から向かってくる車が自分の存在に気付いているかが把握できるし、いざという時に回避しやすいなどといった利点があるからだそうだ。逆に左側を歩いていれば、後方から不意の一撃を食らいかねない。

 

野犬の群れに遭遇

 31日目、石鎚山の麓にある60番・横峰寺から、道の駅小松オアシス方面に降りる一本道だった。50メートルほど前方に、首輪もリードもしていない2匹の中型犬がいる。そしてその犬は私の存在に気づくと、仲間が増えて4匹になり、けたたましく吠えながら近づいてきた。私は金剛杖を犬に向かって突き立てながら、ジリジリと後退りをした。

 

パッと見は大人しいが、近づくと吠えて威嚇してくる

 

 しばらく後退すると、犬はそれ以上追ってこなかった。あそこは野犬のテリトリーなのだろうか?できればこの道を通りたくないが、山から人里に降りる一本道で、迂回するにはまた何キロメートルも山を登らなくてはいけない。地元の人なら、あの犬のいなし方がわかるのではないかと、近くにあった土木業者の事務所を訪ねると、そこの社員の方がその区間だけ車で送ってくれることになった。仕事中にも関わらず、困った人がいたら迷わず助けてくれるその心意気に感謝が尽きなかった。

 

茂みにひそむ野犬たち

 

 四国に野犬は多いようだ。香川県の公園でも、首輪もリードもしていない中型犬が私の前を横切ることが2回あった。ただ、これらの犬は、吠えることも接近してくることもなく、私に対して無関心のようだった。

 

 石鎚山の麓で遭遇した野犬も、地元の人によれば吠えこそするが人を襲ったという話は聞かないそうだ。しかし1匹だけならまだしも、相手が群れとなると最悪の事態を想定してしまう。弘法大師の分身とされる金剛杖は、昔から野犬や蛇を追い払うためにも使われてきたそうだ。人間の都合で捨てられて野生化した可哀想な犬たちを傷つけることはしたくないが、この時ほど金剛杖を心強く感じた時はない。

 

 なお、この道は60番・横峰寺から61番・香園寺に続く分岐ルートの一つ。私は道の駅に寄りたかったのでこの道を通ったが、別ルートである白滝奥ノ院を経由する道で香園寺に向かうのが一般的だと思う。