He is reclusive

バンライフ、旅、持病のIBS(過敏性腸症候群)、読んだ本などについて

「ゴキブリムエンダー」で幼虫を見なくなった

 初夏になってから、家の中でゴキブリの赤ちゃんを毎日のように見かけるようになった。5ミリメートルくらいの黒い体に白い線が入っているクロゴキブリの幼虫だ。消臭剤のように部屋の中にスプレーするだけでゴキブリ駆除ができるというKINCHOの「ゴキブリムエンダー」を試したところ、ゴキブリを一切見なくなり、1カ月以上経った今でもその状況は続いている。効果はあったようだ。

 

 

 毒餌剤である「ブラックキャップ」は既に3月下旬の引っ越し直後に家中に配置してあった。それでもゴキブリが発生するということは、さらに踏み込んだ対策が必要だった。そこでアースレッドなどの「くん煙剤」の使用を思いついたが、使用時に家電や食器を保護するのが面倒に感じた。その点、「ゴキブリムエンダー」は家電や食器の保護といった特別な準備が必要なく、部屋の四方に向かって吹きつけた後、部屋を30分締め切るだけで良い。しかもその間、自分が部屋のなかに居ても良いということなので、非常に楽に感じた。

 

 ここまで楽だと、逆に効果が疑わしかった。ゴキブリムエンダーを家中で使用した二日後、リビングと玄関で3匹ものゴキブリの幼虫の死体を見つけた。ゴキブリムエンダーの神経毒にやられたようで、床でひっくり返って野垂れ死んでいた。この後、さらに数匹の死体を家のなかで見つけたが、生きた状態のゴキブリには未だ遭遇していない。

 

 ゴキブリ以外の虫にも効果を発揮するらしい。ある日、確かにゴキブリではないが、名前もわからぬ体長3cmほどの羽虫が天井に張り付いていた。ゴキブリムエンダーはスプレーになっているので、「キンチョール」のような殺虫剤の感覚でその虫に吹きつけてみた。数十秒後、その虫はブルブルと震え始め、天井に張り付いたまま羽を動かしていたが飛ぶことはせず、やがて床に落ち、もがいた後に死んだ。

 

 神経回路がぐちゃぐちゃになったような残酷な死に様を見せられて、果たして人体に影響はないのかと怖くなった。ゴキブリムエンダーの缶を見てみると、有効成分に「ピレスロイド」とある。KINCHOのウェブサイトの情報(ピレスロイドの特長は? | 害虫コラム | ウルトラ害虫(がいちゅう)大百科 | KINCHO)によると、この成分は昆虫に対して速効性の殺虫効果や忌避効果を発揮する一方、哺乳類や鳥類などの体内では速やかに分解され、無害だそうだ。つまり「ゴキブリムエンダー」は「ニンゲンニハムガイダー」ということになる。

 

 実は、田舎暮らしの経験が浅い私の恐怖の対象は、ゴキブリよりもむしろムカデだ。ムカデはゴキブリを餌にするので、ゴキブリを寄せ付けないことがムカデ対策にもなるらしい。今のところ、ムカデは見ていない。このまま虫のシーズンを終えたいと願っている。

 

 

死が迫る人は何を求める【読書ノート】「死ぬ瞬間/E・キューブラー・ロス」

 

 

参考になった知識

・死が目前に迫った人の精神は(1)否認と孤立→(2)怒り→(3)取引(神との交渉)→(4)抑うつ→(5)受容の5段階を経る。また、「希望」が各段階を通してずっと存在しつづける。

・著者が本書執筆までに会った200人以上の末期患者のうち、死が近づいているのを最後まで否認しつづけた患者はたった3人だった。

・末期患者には特別な要求がある。周辺者が耳を傾けることで、それが何なのかをハッキリさせれば要求は満たされる。

・「末期患者のためにいたずらに時間を割くのは虚しい」という看護婦もいる。末期患者との向き合い方について考えるのは、患者の家族だけでなく医療機関側の人間にとっての課題でもある。

・古代ヘブライ人が、死者の体を「触れてはならない不浄なもの」とみなすなど、「死=不浄」という考え方は古今東西に存在する。

 

感想

 米シカゴ大学で、末期患者にインタビューするセミナーを開講したエリザベス・キューブラー・ロス氏が書いた本。同氏の考察よりもインタビューの書き起こしの方が豊富で、患者の属性は「1960年代当時のアメリカ人(かつ敬虔なクリスチャンが多いように見受けられる)」と限定されるものの、末期患者とその家族が何に苦しみ、何を求めているのかを伺い知ることができる。世界的なベストセラーで、先に読んだ死に関する本「自死という生き方/須原一秀」や「納棺夫日記/青木新門」でも引用されていた。

 インタビューに目を通すと、患者が不安を感じるのは「死」そのものというよりも、死に付随する様々な不都合なのだと感じた。残される子どもや配偶者への心配。体が徐々に不自由になり、尊厳を失っていく恐怖。患者本人が死を受け入れていても、家族がそれを許さず、心にしこりが残るケースもある。キューブラー氏は、傾聴によって患者の要求を聞き出すことがそうした問題の解決につながると説く。

 同氏が提唱する死の受容への「5段階」という理論は、末期患者以外にも適用されそうだと感じた。私の場合、自分が抱えるIBS過敏性腸症候群)に対する怒りの感情は、まさにキューブラー氏の提唱する第二段階目に当てはまると気付かされた。そして改めて考えると、「怒り」を覚える以前の私は、自分の病気から目を背ける「否認」の状態にあったのかもしれない。自分がこの後、IBSに対して取引→抑うつ→受容というプロセスを辿るかはわからないが。

 なお、キューブラー氏はこの本の出版後、死後の世界や輪廻転生を熱弁するようになり、物議をかもしたそうだ。そして自身の晩年においては半身不随となり、「神を呪う」といった発言で支持者を失望させたそうである。

 NHKの特番が晩年のキューブラー氏にインタビューしており、その際の映像がYouTubeにアップロードされていた。確かに「神に頭がきた」といった発言をしているが、笑顔も垣間見えて、それがユーモア的な演出とも、自嘲ともとれなくない。幾人の死に立ち会い、人々に死との向き合い方を説いてきた同氏だからこそ、自身の死に際して聖人君子的に浮世離れしてしまうのではなく、死に付随する不自由や不都合に対して「俗っぽく」向き合ったのではないだろうか。

 

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死は穢らわしいのか【読書ノート】「納棺夫日記/青木新門」

 

 

参考になった知識

・「納棺夫」という言葉は辞書になく、著者が客からそう呼ばれたのを受け入れていくうちに生まれた造語。

・死体を綺麗にする「湯灌」はかつて、死者の親族が担うものだった。しかし昨今において納棺夫や火葬夫は、死や死体が忌み嫌われるように嫌われているのが現状。

・著者も納棺夫の仕事を始めた当初は親族や住民から忌避されるきらいがあったが、服装を整え、礼儀礼節に心がけ、堂々と真摯な態度で納棺するように努めると、周囲の見方が変わってきた。

・死体の様子も時代によって変わる。昔は口から食べ物がとれない状態になったら枯れ枝のように痩せ細っていくしかなかったが、今は点滴などで栄養補給されるため、極端に痩せ細らない。また、かつて農村部の老人に多く見られた腰の曲がった体は昔ながらの座棺が適しており、今のような寝棺に収めるには苦労する場合がある。

感想

 死体を棺に収める「納棺夫」の仕事を富山県でしていた著者が、その体験談や死生観を書いた本。事実上は映画「おくりびと」の元になった作品だが、著者と製作側の意向が折り合わず正式な「原作」にはならなかったようだ。

 親族でも僧侶でも医者でもない立場から死と向き合ってきた著者の体験や言葉を通じて、死は果たして「穢らわしいもの」なのか。現代人は盲目的に生に執着し、死から目を背けてしまっていないか、といったことについて考えさせられる。

 納棺夫としての体験を書いた第1,2章があっさりしていて、死生観や宗教、芸術などについての自論を展開する第3章が結構長い。個人的には、自論よりも体験談にもっとボリュームを割いてほしかった。本編の後に掲載されている「『納棺夫日記』を著して」によると、同様の意見を持つ読者からの声は多く寄せられていたようだ。

 本筋とは逸れてしまうかもしれないが、その第3章の自論のなかでは著者の詩人・作家コンプレックスが目立つ気がした。著者は、詩人は「虚業」の世界で生きる人間であって、「実業」の世界に迷い込んでもうまくいかない、といったことを書いている。著者自身、かつて虚業を目指していたが、妻子を食わせるために実業(納棺夫)を始め、長く勤めた人間だ。著者にとって実業の成功は、虚業に生きる人間としての素質を否定することにつながる。この「納棺夫日記」の執筆は虚業だが、納棺夫としての体験は実業そのものであるので、体験談を書く第1,2章は淡白に済ませて、観念的な自論を展開する第3章に力を割いたのでは、と私は感じた。

 

IBSを克服した医師が語る【IBS本】「1分で効く!下痢止めBOOK 過敏性腸症候群を自分の力で治す本/加藤直哉」

 

 

参考になった知識

・健康なバナナ便と下痢便を分ける水分量は、わずか20ミリリットル。成人の1日の排便量は150〜200グラム程度。健康な便の水分量は70〜80%なので、便200グラムにつき140〜160ミリリットル。水分量が80%(便200グラムにつき160ミリリットル)を超えると軟便、90%(便200グラムにつき180ミリリットル)を超えると下痢便になる。

・「不安」を抱きやすいかは、遺伝的素因が強いといわれている。米国精神医学者のクロニンジャー氏が提唱。

IBS過敏性腸症候群)患者は「心因性頻尿」や「機能性直腸肛門痛」を併発する可能性が高い。

・近代西洋医学東洋医学などを組み合わせた「統合医療」は医療保険が使えないため、治療を受ける場合は100%自費になる。

 

感想

 他のIBS関連の本と比べて特徴的なのは、著者自身がIBS(下痢型)患者であること。子どもの時からイベント前にお腹を壊すなど「お腹の弱い」体質で、医師になってからIBSを発症。頻繁な下痢症状を克服した経験をもとに、この本を書いたという。

 著者が主張するIBS対策は、(1)排便回数を減らす(2)冷えない体をつくる(3)睡眠をしっかりとる(4)東洋医学を利用するーーの4つ。「(1)排便回数を減らす」については、下痢便を我慢することで大腸の水分吸収を促すとともに、直腸周囲の神経を鈍くする効果があるという。力技に見えるが、本当に可能なのだろうか。

 腹痛、またはその兆候を感じた時の緊急的な対処法として、「ヘソの周りを強く押す」というユニークな方法が紹介されている。ヘソ周りに痛みを与えることで交感神経を優位にし、大腸を活発にする副交感神経を抑制しようというものだ。

 食事療法については、低FODMAP食についての言及はなく、(高FODMAP食品に該当する)納豆を推奨するような一般的なものだった。

 著者自身がIBSを克服した経験がベースにあるので、著者と似た症状と要因を持つ患者には参考になるが、幅広い症例の人にマッチするかというと、そうではないように見受けられた。 

 

発行年月:2020年12月(初版を読了)

 

正常な排便に朝は大事【IBS本】「もう通勤電車で下痢にならない!/松生恒夫」

 

 

参考になった知識 

・正常な排便を促す「大蠕動」は、朝食を食べた約1時間後に特に起こりやすく、この動きは20〜30分しか持続しない。次に起こるのは半日〜1日後。

・免疫機能は、朝が最も高くなる。ストレスで過剰分泌されるホルモンは免疫系に対して抑制的に作用するので、朝方に強いストレスを感じると、免疫系の障害につながりやすい。

・夜遅くに食事を摂ると、腸管を動かすホルモンが分泌されにくくなり、夜間の腸管の動きが低下する。寝る3時間前に夕食を終わらせるのがよい。

・硬さのある便は直腸からS状結腸へと戻れるが、軟便は戻れないので、直腸内にどんどん溜まって強い便意につながる。

・腸内環境の改善に有効な植物性乳酸菌は、漬物や味噌、しょうゆなどに含まれている。植物性乳酸菌の一種「ラブレ菌」を摂取するには京都の「すぐき漬け」がおすすめ。

 

感想

 「朝の下痢」に焦点をあてた本。食事や就寝といった生活のリズムが、排便メカニズムに与える影響がわかりやすく解説されていた。私は学生のころから出発ギリギリまで寝て朝食を食べずに出かける生活だったので、そうした生活がいかに腸に悪影響だったかを思い知らされる。朝に下痢などでストレスを感じると免疫系にも大きな影響を及ぼすらしく、朝を充実できないと色々と損だと感じた。

 

 食事療法として「地中海型食生活」が紹介されていたが、これには違和感があった。地中海型食生活は「欧州の(消化器疾患を含む)主要疾患の発症率が少ない地域の食生活」を参考にしたものらしいが、毎日摂取すべき食品に乳製品が含まれており、乳糖不耐症の多い日本人には合わないのでは、と感じた。さらに、著者は糖質摂取のための食品としてパスタを推奨している。にもかかわらず、その後のページでは、(パスタの原料である)小麦は下痢を招きやすい「涼性・寒性」の食品の一つで「避けるべき」としており、矛盾を感じた。

 

 ちなみに小麦は、IBS過敏性腸症候群)に有効とされる低FODMAP食の観点では人によって避けるべき食品だ。この本でFODMAPについて言及はなかったが、せめて同じ本の中では、積極的に摂取すべき食品とそうでない食品の整合性は合わせるべきではないだろうか。ただ、地中海型食生活で豊富に摂取するオリーブオイルは低FODMAP食に該当し、腸を含む体に色々と良い効果があるそうなので、積極的に摂取したいと感じた。

 

発行年月:2019年6月(初版を読了)

 

 

社会は自死を肯定できるか【読書ノート】「自死という生き方/須原一秀」

 

 

参考になった知識(著者の主張)

・著者を自死に駆り立てたのは、「平常心で死を受け入れることは本当に可能か?」という仮説を「実証」しようとする研究者魂。

三島由紀夫自死は当時、世間から「狂気」と見られていたが、最近は「衰えていく自分を認めることができずに自死した」との説が有力になりつつある。

伊丹十三(映画監督)の自死は女性スキャンダルが理由と思われているが、かねてから「楽しいうちに死にたい」と思っていた本人が、女性スキャンダルの発覚を自死の好機と捉えたに過ぎない。

ソクラテスも質の低下した老後生活を迎えたくない気持ちがあったが、敬虔なキリスト教徒だったため、キリスト教で禁じられている自死ができなかった。そのため晩年の裁判で合理的な自己弁明をせず、意図的に死刑判決を受け入れた。

 

感想

 平常心での「死の受容」が可能だということを実証するため、2006年に65歳で自死した哲学者・須原一秀氏が書き残した本。世間一般的には、自死はなんらかの不遇によって精神的に追い込まれた人か、「狂気」に駆り立てられた芸術家や知識人だけがするものだと考えられている。須原氏は、これを否定し、三島由紀夫伊丹一三ソクラテスの3人の死も、単純に表現すれば「元気なうちに死にたい」といったもので、決して一般人と分け隔てるべき哲学ではないと訴える。

 

 私がこの本を読もうと思ったのは、祖母が先日、自死したからだ。持病の悪化で身体的苦痛が増すとともに、入院介護の必要が生じるようになったタイミングで決意し逝ってしまった。私は祖母の決断を肯定して良いものか、非常に悩んでいる。世間一般的な倫理観から言えば、死は「避けるべきもの」だが、「この世に思い残すことはない」と主張する祖母に苦痛の伴う闘病や介護生活(祖母は自立できない生活を嫌い、恐れていた)を強いるのも酷だと思うからだ。

 

 著者の息子である須原純平氏が本のあとがきで書いている。 

 父の自死という経験と遺された原稿を読んで、今まで怖くて考えたくなかった「死ぬということ」について本気で考えるようになり、考え方が変わりました。結果、死への恐怖が少し薄らいだように思います。

 父の自死からしばらくして、私たち家族が出した結論は、「父にもう会えないのは寂しいが、悲しむことではない」ということです。

 私もこの本を読んで、少し救われた気がする。本人にとって「前向きな自死」というのが存在しそうだと感じたからだ。

 

 身内の死について、理由のいかんに関わらず家族の心にもやもやが残ってしまうのは、死に対する議論が社会的にタブー化されていることも一因だと思う。私も先日、「【読書感想】人の死生観は短期間で変わる「生きる勇気 死ぬ元気/五木寛之 帯津良一」 - アラサー隠居」を書いた時は、祖母について「大変お世話になった高齢の知人」などと偽ってしまった。近親者が自死したことについて、世間様に対する後ろめたい気持ちがあり、インターネットでオープンにするのを躊躇した。

 

 どんなかたちであるにせよ、一種の「死」を社会は肯定できるだろうか。「命の軽視につながる」といった懸念について著者は、人工妊娠中絶の容認などがそうであったように、事前の心配事は実際は大した問題にならない、と反論する。また、「武士道」における切腹になぞらえた「老人道」的な自死は、「共同体構成員」としての尊厳を保つための自死であるので、自死を決断した人間がやぶれかぶれになって(共同体に害を与えるような)犯罪を犯すような真似もしない、と主張している。

 

 個人的には、「元気なうちに死にたい」という老人(あるいは老人の手前の年齢の人)の自死が社会的に肯定される場合、「苦痛を伴おうが、介護を受けようが、生きられるところまで生きたい」という人の肩身が狭くならないだろうか、と心配してしまう。社会は、医療や福祉によって生命を維持する人に対する尊重を維持できるだろうか。

 

 なお、本書解説で評論家の浅羽通明氏は以下のように指摘している。

 しかし、今日まで日常を共におくってきた家族、親友、同僚などにふいに逝かれてしまう「残された近親」の思いはどうなるのでしょうか。 

 氏(著者の須原氏)が決行を最初に告げた親友K氏は、「須原さんさびしいなあー」といいながら、真っ直ぐに思いを受けとめてくれたと10章1節にあります。しかし氏は、ご家族には何も告げていません。

 個人的には、家族は何も告げられていなくて正解だったと思う。健康なうちの自死など同意できるはずがないし、同意したとすれば一生涯、何らかの後悔や罪悪感が残ってしまうのではないだろうか。私も仮に祖母から自死の意図を告げられていたとして、同意できるはずがないし、祖母が(恐らく)家族の誰にも相談をしなかったのは、そういう配慮だったと推察する。

 

 

 

神社の建立すら仏教の影響かも?【読書ノート】「神仏習合/逵日出典」

参考になった知識

・人はもともと、「神」に必要な時だけ降臨を求めていた。人里に神社をつくり、そこに神の常在を求めるようになったのは仏教寺院の影響と考えられる。

・固有の能力を持つ人格神の登場も、仏教の影響と考えられる。仏像に相応するものとして神像がまつられる例もある。

・神社に附属した寺である「神宮寺」は地方発祥。人は、神が仏の力を得て「神威」を増すことで風雨を順調にし、農耕生活に安泰をもたらすことを期待した。もともと神への信仰は理論化されておらず、仏教が理論的な面を補った。

・11世紀ごろ(平安中期)になると、仏が根本(地)で、神は仏が仮の姿で現れた(垂迹)ものであるとする「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」が普及する。仏教優勢の構図が強まる。

鎌倉時代の頃から、反・本地垂迹説も出てくる。外国に対する意識の高まりなどもあり、日本固有の神への意識が高揚する。元寇の襲来を防いだ暴風雨(神風)がこの流れを決定的にする。

 

感想

 神社に行ったら五重の塔が併設されていたり、山に登ったら仏像と祠がそれぞれまつられていたり。今まで漠然とした疑問を感じつつも、かしこまって知ろうとしなかった「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」。この本を読み、ある程度理解することができた。

 土着ゆえに、ふんわりしていた神への信仰は、仏教が理論化の手助けをしたらしい。神社を建立する習慣までもが、仏教の影響かもしれないというのは驚き。明治の廃仏毀釈以前にも、政治的事情などを背景に神と仏教の対立はしばしばあったようだが、総じて見れば「もちつもたれつ」の関係で歩んできた時間の方が圧倒的に長いようだ。

 世界的には宗教戦争が珍しくないなか、神への信仰と仏教の融和がなぜ日本で可能だったのか。著者は、両者がともに他を排斥する一神教ではなく、多神教であること。また、日本人が、妥協を許さない思考形態ではなく、融通性に富む思考形態であり、温厚で包容力のあるものを尊ぶ傾向にあったこと、などが要因だと主張している。

 「生まれたときは神社、死ぬときは寺」みたいな話は、日本人の宗教観の曖昧さを表すものとして、滑稽に語られる時がある。しかし神仏習合の歴史を振りかえると、この融通性こそ日本人の尊ぶべきものだと思えてくる。

 

※私が読んだのは1986年に六興出版から発行されたもの(https://www.amazon.co.jp/神仏習合-逵-日出典/dp/4653025282)で、今は絶版で中古しか手に入らないもよう。下記のリンクは、2007年に講談社から発刊された、同じ著者による似たテーマの本。