He is reclusive

バンライフ、旅、持病のIBS(過敏性腸症候群)、読んだ本などについて

孤独だと過去を思い出してばかりだが、それも良いかもしれない

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 人と会わない孤独な生活を始めてから、過去を思い出すことばかりしている。新生活の開始直後は、直近のサラリーマン生活について想起することが多かった。それが徐々に大学時代、高校時代、不登校だった中学時代、果てはそれより前の子供時代の記憶まで遡るようになっている。

 

 立花隆氏の「臨死体験 下 (文春文庫)」の中で、心理学者の杉本助男氏の研究内容が引用されていたが、人間を視覚・聴覚・触覚などを遮断した「感覚遮断」の状況に置くと、最初は皆、空想の世界に入っていくそうだ。それが6〜10時間経過すると、もっぱら思い出にひたるようになり、最近の出来事から始まって子供時代や中学生時代の出来事まで遡るようになるのだとか。立花氏が引用したものと全く同じものではないようだが、杉本氏による同じテーマの論文が以下のリンクで公開されていた(感覚遮断環境下の人の心的過程(<特集>「極限状態における人間」))。

 

 私の場合、時間軸は感覚遮断状況下の人間よりもはるかに長くなる(思い出す対象が変異するスパンが数時間ではなく数カ月)が、思い出を遡っていく傾向はとても似ていると思った。人間にとって「何もしない」、「何も考えない」というのは非常に難しい。そのため、人間は外部からの刺激(私の場合は人との交渉)が途絶えると、自分の内部にある記憶をほじくり返す一人遊びを始めざるを得ないのだと思う。

 

 思い出す内容が楽しいことばかりであれば良いのだが、ネガティブ人間の私にとって、それは逆だ。過去に誰かに傷つけられた経験、そして自分が誰かを傷つけてしまった後悔によく苛まれる。しかし思い返すと、私は約30年の人生のなか、「今」を生きるのに精一杯だったのと同時に、「将来」について考える機会が多かったかも知れない。それは「希望」に満ちたものではなく、「不安」という感情が大いに混ざったものではあったが、不登校だった中学生時代は「高校進学ができるのか」ということについて、高校時代は受験や大学生活について、大学時代は就職活動について、サラリーマン時代は来年の異動について、といったように。

 

 30歳というタイミングで一度立ち止まり、過去の振り返りに集中してみるのも、それはそれで良い機会なのかもしれない。現在、不勉強な私としては過去に類を見ないペースで本を読んでいるが、本に書かれた内容を自分自身の過去と照らし合わせて有意義な発見を得られることは多い。こうした発見は、ある程度の人生経験を積んだからこそ得られるもので、仮に5年前の私が同じ本を読んだとしても、特段の印象は抱かなかったかもしれない。実際、以前読んだことのある本を再び読んで、思わぬ発見が得られたケースはいくつもある。当然ながら読書自体は勤め人でも可能なのだが、キャパシティの小さい私はサラリーマン時代、仕事のことで精一杯だったので、本を読むとしても仕事に関係のあるものばかりだった。今のように、IBS過敏性腸症候群)や心理学、哲学など興味の赴くままに調べて、自分の過去に当てはめていく余裕はなかったのだ。

 

 米国人作家のジョン・スタインベックは、「チャーリーとの旅」のなかで、「孤独の性質が身についてくると、過去も現在も未来も一緒になってくる。過去の記憶も現在の出来事も未来の予測も、みな等しく現在のこととなるのだ」と述べていた。私は、過去と現在が等しくなることには同感だが、どうも、「将来」までが「現在」に交わる感覚というのが、しっくりこない。なぜなら、今の私は進学や就職を当然のことのように考えていた昔と違って、具体的な将来が描けず、将来そのものが曖昧模糊としているからだ。

無職がプロレタリア文学を読んだら【読書ノート】「蟹工船/小林多喜二」

 

 

 「ドン・キホーテ」に続く、今更読む名作シリーズ。賃金労働者の苦悩と反抗を書いたプロレタリア文学の代表作と評される本作を、無職の私があえて読んでみた。

 

 この手の作品を読むと、「自分ならどうするか」と考えさせられる。今の私がそのまま蟹工船の世界にワープした場合は間違いなく作品中の漁夫らと同様、現場監督からの暴力と理不尽に怒って反旗を翻すと思う。が、当時の日本ではまだ、労働運動自体が根付いていなかった(作品中では、ロシア領土のカムチャッカ半島に漂流した漁夫が、ロシア人から社会主義を教わったことが反旗を翻す契機となる)。乗っている船の世界だけでは、確かに労働者の数と力が監督側を圧倒的に上回る状況だが、永遠に船の上で生活するわけではないし、本土には家族と、今までと変わらない貧しい生活が待っているのだ。一度目のストライキは監督が軍の駆逐艦に助けを求めることで失敗に終わったように、軍国主義だった日本が国策として経済力の増強を図るなか、使役する側には軍の後ろ盾がある。一労働者として大胆な行動に出るのは非常に難しかったと思う。

 

 ところで、本作のようなプロレタリアート(賃金労働者階級)とブルジョワジー(資本家階級)の対立構造において、私のような「無職」はどのような立ち位置にあるのだろう?と考えた。

 

 プロレタリアートとしての生活から逃避して無職になることはある意味、資本主義への反抗だ。しかし、本作中でロシア人が日本人に教える社会主義の価値観は、端的にいうと「働かない人よりも働く人の方が偉い」。ここでいう「働かない人」というのは、金の力でプロレタリアートを使役し自分で汗をかかないブルジョワジーのことではあるのだが、単なる無職も「働かない人」には違いないわけだ。といっても今現在、無収入の私の生活を支えているのはプロレタリアートとして働いた時代の蓄えであって、今も決して株の配当や不動産収入といった不労所得を得ているわけではないから、私はブルジョワジーに分類されるような大層な人間でもない。

 

 こうした疑問を呈することは、私が社会主義(あるいは共産主義)について不勉強なことを露呈することになってしまいそうだが、富の再分配を重視する経済体制の下では、数年間の労働によって蓄財し、数年間を無職として過ごす「ミニリタイア」というスタイルは許容されるのだろうか。資本を労働者の使役に使うのではなく、単に自分が生きながらえるために消費していく状態というのは、肯定されるのだろうか。

 

 そもそも、働かない穀潰しは資本主義だろうが社会主義共産主義)だろうが肯定されるものではないかもしれない。しかし経済貢献の度合いだけで人の価値は測れるものだろうか?いよいよわからなくなってきた。

 

「ゴキブリムエンダー」で幼虫を見なくなった

 初夏になってから、家の中でゴキブリの赤ちゃんを毎日のように見かけるようになった。5ミリメートルくらいの黒い体に白い線が入っているクロゴキブリの幼虫だ。消臭剤のように部屋の中にスプレーするだけでゴキブリ駆除ができるというKINCHOの「ゴキブリムエンダー」を試したところ、ゴキブリを一切見なくなり、1カ月以上経った今でもその状況は続いている。効果はあったようだ。

 

 

 毒餌剤である「ブラックキャップ」は既に3月下旬の引っ越し直後に家中に配置してあった。それでもゴキブリが発生するということは、さらに踏み込んだ対策が必要だった。そこでアースレッドなどの「くん煙剤」の使用を思いついたが、使用時に家電や食器を保護するのが面倒に感じた。その点、「ゴキブリムエンダー」は家電や食器の保護といった特別な準備が必要なく、部屋の四方に向かって吹きつけた後、部屋を30分締め切るだけで良い。しかもその間、自分が部屋のなかに居ても良いということなので、非常に楽に感じた。

 

 ここまで楽だと、逆に効果が疑わしかった。ゴキブリムエンダーを家中で使用した二日後、リビングと玄関で3匹ものゴキブリの幼虫の死体を見つけた。ゴキブリムエンダーの神経毒にやられたようで、床でひっくり返って野垂れ死んでいた。この後、さらに数匹の死体を家のなかで見つけたが、生きた状態のゴキブリには未だ遭遇していない。

 

 ゴキブリ以外の虫にも効果を発揮するらしい。ある日、確かにゴキブリではないが、名前もわからぬ体長3cmほどの羽虫が天井に張り付いていた。ゴキブリムエンダーはスプレーになっているので、「キンチョール」のような殺虫剤の感覚でその虫に吹きつけてみた。数十秒後、その虫はブルブルと震え始め、天井に張り付いたまま羽を動かしていたが飛ぶことはせず、やがて床に落ち、もがいた後に死んだ。

 

 神経回路がぐちゃぐちゃになったような残酷な死に様を見せられて、果たして人体に影響はないのかと怖くなった。ゴキブリムエンダーの缶を見てみると、有効成分に「ピレスロイド」とある。KINCHOのウェブサイトの情報(ピレスロイドの特長は? | 害虫コラム | ウルトラ害虫(がいちゅう)大百科 | KINCHO)によると、この成分は昆虫に対して速効性の殺虫効果や忌避効果を発揮する一方、哺乳類や鳥類などの体内では速やかに分解され、無害だそうだ。つまり「ゴキブリムエンダー」は「ニンゲンニハムガイダー」ということになる。

 

 実は、田舎暮らしの経験が浅い私の恐怖の対象は、ゴキブリよりもむしろムカデだ。ムカデはゴキブリを餌にするので、ゴキブリを寄せ付けないことがムカデ対策にもなるらしい。今のところ、ムカデは見ていない。このまま虫のシーズンを終えたいと願っている。

 

 

五木寛之氏は「アラサー隠居」を経て作家デビュー

 

 

 「五木寛之の金沢さんぽ」という本を読んでいたら、思わぬ発見があった。五木氏も、今の私と同じ「30歳前後」という年齢の時に、東京での生活に疲れて一時、配偶者の実家がある金沢(石川県)に身を引き隠居じみた生活を送っていたようだ。

 

 本には、以下のように書いてある。

 

 私が東京を離れる気になったのは、ひとつは精神的肉体的に疲れ果てていたためかもしれない。私の肺は、古ゴムのように力を失って、空気を充分に吸うことができないような感じだった。(中略)

 だが、肺とは別なところにポッカリ暗い大きな穴があいていて、そこから冷たい風が絶えず吹いてくるのを私は感じていた。

 そんな状態を何といえばいいだろう。一種の無気力状態とでも、また放心状態とでもいうような気分が続き、何もかも、生活のすべてがわずらわしく、うとましく思われたのである。

 私は病気を理由に、当時関係していた仕事のぜんぶから身を引き、金沢へ移住することに決めた。それは、ある意味では早すぎる退場であり、理由のない脱走のようなものだった。

 

 著名な作家と自分の境遇を照らし合わせるのはおこがましいことだが、30歳前後という年齢。精神的肉体的な疲弊から無気力状態に陥り、仕事を放り出して東京から地方に撤退。今の私の境遇と、かなり似ていると思った。 

 

 五木氏の金沢在住時の金銭事情については、以下の通り。働くのを完全にやめたわけではなく、細々とした仕事は続けていたようだ。

 

 私は一家の主としての体面を保つためとぼしいながらも生活費の一部を捻出しなければならず、東京の業界紙やPR雑誌に原稿を送り、時に放送台本を書き、歌の作詞やインチキな翻訳などをしてわずかな金を稼いだ。その年の年間収入は、税務署の査定額がたぶん十四、五万円くらいのものだったのではないだろうか。 

 私は一日の小遣いを三十円と限定し、その枠を守って暮らした。 

 

 現在の物価との違いは、家計収支の場合、消費者物価指数を使えば調整できるようだ。計算方法や指数データが日本銀行のウェブサイト(昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか? : 日本銀行 Bank of Japan)で紹介されていた。

 

 五木氏は1932年生まれなので、金沢で暮らしたのは1962年前後となる。1962年の消費者物価指数は20.6で、2020年は102.3。約5倍の差だ。

 

 五木氏の言う「税務署の査定額」が、個人事業主としての経費や基礎控除を引いた後の数字なのか、単純にその年に稼いだ総額なのかはわからない。サラリーマンの額面年収と変わらない概念と仮定した場合、今の貨幣価値に換算すると15万円×5で年収約75万円ということになる。

 

 一方、「一日の小遣い」である30円は、今の貨幣価値で150円。あまりにも少なく思えるが、当時の五木氏は公共交通機関すら使わず、「コーヒーを飲むためには二日か三日、一円も使わずに我慢しなければならなかった」とあるので、計算は大体合ってそうだ。

 

 それまでも原稿執筆や作詞などを生業にしていた五木氏だが、この金沢での生活中に「さらばモスクワ愚連隊 【五木寛之ノベリスク】 (講談社文庫)」を執筆し、小説家デビュー。同作は小説現代新人賞、近い時期に執筆した別の作品は直木賞に輝く。前線からの一時離脱がクリエイターの創造力を育むことは、「ミニリタイア」を提唱するStefan Sagmeister氏(仕事から一時離脱するミニリタイアという生き方 - アラサー隠居はIBSに怒る)も強調していたが、五木氏にとっても「飛躍の隠居生活」になったようだ。

 

無職と雨と月曜日

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「雨の日と月曜日」は無職だって憂鬱

 

 1970年代に活躍したアメリカ人デュオのCarpentersのヒット曲に、「Rainy Days And Mondays」というのがある。雨の日と月曜日はなんだか憂鬱になる、そういう心情を歌ったものだ。天候の悪い日と、休日の翌日に気分が晴れないのはアメリカ人も日本人も同じらしい。

 

 私も例外ではない。「やることのない無職がなぜ?天候や曜日に関係なく毎日のんびりお気楽に過ごしていればよいじゃないか」と思われるかもしれないが、これにはちゃんと説明できるだけの理由がある。

 

 まず、雨の日。私はどうも、体調が天候の影響を受けやすい。雨の日は頭と体が重くなり、何に対しても無気力になりがちだ。サラリーマン時代は当然ながら「雨で気が向かないので休みます」というわけにはいかないので、嫌々仕事に出かけていた。

 

 暇な無職は、気が向かなければ家で寝るなり、だらだら過ごせばよい。だが、のんびり過ごしていれば憂鬱な気分が回復するかというと、そうでもないらしい。むしろ、時間を無碍にしていると頭と体はより重くなる一方だ。梅雨で雨が続く最近は、雨が憂鬱をつくり、家からほとんど一歩も出ない生活がその憂鬱に拍車をかける悪循環に陥っている。仕事のように雨だからといってキャンセルできない用事というのは、無気力を断ち切るカンフル剤のような役割を果たすことを身をもって知った。

 

 次に、月曜日の憂鬱。これは、世間に対する後ろめたさが理由だ。土日は多くの人にとっての休日なので、私も心おきなく休日(無期限)を謳歌できる。いい年をした男が平日の昼間から家の周囲をうろつくのは、ご近所さんの目が少しばかり気になるが、土日は胸を張ってうろついている。そんな気持ちで2日間を過ごしていると「忘れていませんか?あなたは日本経済に貢献していない無職なのですよ」と教えてくれるのが月曜日というわけだ(実際には最低限の消費でわずかながら経済貢献している)。火曜日、水曜日・・・と過ごしていると、この後ろめたさも次第に薄まっていく。

 

 それに私は、どこか出かけようにも、道路や店が混雑しがちな土日は避ける。つまり、行きたい場所や済ますべき用事があるとしても、土日はゆっくり休んで、月曜日から動き始める。これは気分の浮き沈みにはあまり影響しないが、「毎日が休日」の無職も一応、曜日を意識しているということ。

 

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 こちらはYouTubeにアップロードされていたCarpentersの「Rainy Days And Mondays」のPV。昔から思っていたが、映像の冒頭でハーモニカを吹いているおじさんの顔が、歌手のFrank Sinatraに似ている気がする。

無職初の住民税 カード払いで1,500円分のポイント獲得

 前年の収入から計算される住民税。6月中旬、現在は無職の私にも前住居地から住民税決定通知書が届いた。会社員時代は給与天引きだったので、直接納める「普通徴収」の通知書を見るのは初めてだ。金額は24万3,600円。ある程度の想定はしていたが、やはり高い。

 

 実は、以前の記事(無職でも作れた「Visa LINE Payクレジットカード」)で新しいクレジットカードを作ったのは、せっかく高い税金を支払うので、ポイント制度を有効活用したいと思ったからだ。結果、1回目の請求金額6万3,600円をLINE Pay経由でカード決済したところ、0.5%(318円)のポイント還元が得られた。お菓子代くらいにしかならないが、残りの金額6万円×3回を別のアプリ「モバイルレジ」(NTTデータ)経由で決済すれば、1回目と合わせて合計1,503円の還元が得られる計算になる。

 

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記念すべき普通徴収の初体験は24万3,600円

 

 

そもそも無職1年目の住民税はいくら?いつ支払う?

 計算式は複雑なので下手に言及するのを避けるが、2020年の額面年収が約500万円だった私の税額は24万3,600円だった。年収の約5%ということになる。

 

 住民税率は全国一律「10%」に設定されているが、これは額面年収に直接10%を掛けるわけではなくて、各種控除によって圧縮された「課税標準額」に掛ける。私の場合、控除額は給与所得控除約144万円、社保控除約70万円、生命保険控除4万円、地震保険控除約1,000円、基礎控除43万円で合計約260万円。この額を額面年収約500万円から引いた課税標準額は約240万円だった。実際にはさらに調整控除などが存在するが、この約240万円に10%を掛けると24万3,600円という税額が仕上がる。

 

 数十万円の一括払いを要求するほど、国は野暮ではない。通知書が届いた時点で、納付書は4分割されている。私の場合は1回目の請求が63,600円で、納付期限は6月30日。2〜4回目がそれぞれ、ぴったり6万円で、期限はそれぞれ8月31日、11月1日、2022年1月31日だった。万円未満の端数は1回目の請求に寄せるらしい。

 

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「慈悲」。それは税金の一括納付を求めないことを表す言葉。

 

 納付方法は、金融機関やコンビニの窓口だけでなく、当該自治体ではスマートフォンアプリ「モバイルレジ」、LINE Pay、PayPayでの支払いに対応していた。

 

 モバイルレジとLINE Payの「チャージ&ペイ」はどっちがお得?

 Visa LINE Payクレジットカード(以下、LINE Payカード)を使ってLINEポイントを獲得する方法は、モバイルレジ経由とLINE Pay経由の2通りある。どちらも決定通知書に同梱されている納付書に記載されたバーコードをアプリで読み取れば簡単に決済できる。ただ、どちらのアプリを経由するかによって、発生するポイントや手数料が異なる。

 

 モバイルレジを通じて同カードを使用した場合、通常の買い物などと同じく決済金額の2%のLINEポイント(1ポイント=1円)が得られる。ただ、税金の場合は「ポイント還元の対象は5万円まで」という制限がある。さらに、決済金額に応じて発生する手数料には上限がない。つまり、決済金額の5万円を超える分が大きくなるほど、還元ポイントは1,000円分(5万円×0.2%)から増えないのに対して手数料は増えるので、ポイントと手数料を差し引きした実質的な還元額は減少する。

 

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モバイルレジでカード決済する場合の手数料の説明(都内某区の場合、2021年6月29日時点)

 

 一方、LINE Payによる支払い。「チャージ&ペイ」とは、LINE Payの残高からではなく、アプリと紐づけた三井住友カード(LINE Payカードを含む)から決済する方法だ。ポイント還元率は0.5%と前述の方法より低いものの、税金でも還元対象金額に上限はない。しかも、手数料はかからない。

 

 1回目の請求金額63,600円を支払う場合、どちらの方法がお得なのか。モバイルレジ経由の場合、ポイント還元は1,000円分で、手数料は715円。実質還元額は285円となる。LINE Pay経由の場合、ポイント還元は318円分で、手数料は0円。実質還元額は318円となり、モバイルレジ経由を33円上回る。

 

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 決済金額に応じたモバイルレジの手数料は、6万円と6万0,001円の間で変わる。まさに、この1円の差が、どちらがお得かの境目となる。

 

 2回目以降の請求金額である6万円を支払う場合、モバイルレジ経由の場合の実質還元額は395円。LINE Pay経由では300円だから、モバイルレジ経由が95円もお得ということになる。仮に決済金額が6万0,001円になれば、実質還元額はモバイルレジ経由が285円、LINE Pay経由が300円となり、大小が逆転する。決済金額が大きくなるほど、この差は顕著になる。

 

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 よりお得な方法を選んで、1回目の63,600円をLINE Pay経由、2〜4回目の6万円をモバイルレジ経由で支払った場合の実質還元額は318円+395円×3回で合計1,503円。大した金額ではないが、無収入の無職にとってはありがたい。

 

ぐんま百名山で最も低い「庚申山」を登ってみた

 「ぐんま百名山」で最も低い藤岡市の庚申山(こうしんやま、標高189m)を登ってきた。「登る」と言っても、私は標高約400mの場所に住んでいるので、その2分の1ほどの高さだ。しかし林の中をジグザグに抜ける登山道などが、しっかりとした「山感」を醸し出していて、トレイルランの練習でも使えそうだと感じた。

 

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低くても充分な「山感」


 山頂に至る「男坂」というのがある。311の石段からなる急峻な階段だ。これが階下から見上げるのと、階上から見下ろすのとではまるで雰囲気が違った。

 

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(左)下から見上げた男坂 (右)上から見下ろした男坂

 下から見上げた時。開けた山頂の光に続く「希望の階段」という感じ。神々しくさえある。一方で、上から見下ろした時。深い闇に下りていく「絶望の階段」という感じ。草木や石段の色が妙に重々しく、不気味な雰囲気を醸し出す。

 

 天国地獄とあるように、昔から天の光は希望、地の闇は絶望の象徴として語られるが、それにしても、同じ石段の道でここまで見え方が違うのは面白い。トンネルのように連なる背の高い木が影をつくり、山頂の光とのコントラストを演出するからだろう。木がなければ石段全体が光にさらされるので、上下からの見え方の差は大分、縮まるように思う。

 

 ちなみに庚申山の「庚申」は、60パターンある「六十干支」の57番目。暦上、「庚申の日」は60日に一度の周期でやってくる。この日の夜に眠ると人の体内に住んでいる虫が、神様にその人の悪事をチクりに行き、罰として寿命を縮められてしまうという迷信があったのだとか。そのため、庚申の日に徹夜をして虫の報告を阻止する「庚申信仰」というのがあったらしい。地元住民が酒や食べ物を持ち寄った徹夜の集会を3年18回も継続した上で立てる石碑「庚申塔」は全国各所に見られ、男坂の脇にも確認できる。

 

 というのはネットで少し調べて得た知識なので、キチンと理解できているかは怪しい。それにしても、神様への報告を恐れて悪事を「しない」のではなく、人間が大なり小なり罪を背負う生き物であることを前提に隠蔽工作をはかるとは、潔い。迷信は、2カ月に一回のオールナイトパーティーの口実ともとれなくはない。仮に古人が庚申山の山頂で宴会を開いていたとすれば、上りの男坂は、酒とご馳走が待つ会場に続く明るい道。下りの男坂は、飲み過ぎた酒と寝不足で重い頭を抱えた暗い道となり、まさにその雰囲気と合致する。

 

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山頂にある看板

 

 なお、県境の栃木県側には別の「庚申山」がある。こちらは「こうしんやま」ではなく「こうしんざん」と読み、標高は1,892m。群馬の「こうしんやま」のちょうど10倍ある。