He is reclusive

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人間は何事にも慣れる存在だ【読書ノート】「死の家の記録/ドストエフスキー」

 

 

 ヴィクトール・フランクルユダヤ強制収容所での生活を綴った「夜と霧 新版」のなかで、本書に書かれたドストエフスキーの「人間はどんなことにでも慣れられる存在だ」という言葉が引用されており、気になったので読んだ。本書は、政治犯として逮捕されたドストエフスキーがシベリア監獄での4年間の囚人生活を綴ったものだ。検閲の都合上、表面的にはドストエフスキー本人ではなく別の他人の体験記録という形式で書かれている。

 

 「人間は何事にも慣れる存在」との言葉は、以下の文章のなかに登場する。

 

 わたしの寝床は板を三枚並べただけのもので、それがわたしの場所のすべてだった。わたしの監房だけでそうした板寝床に三十人の囚人がおしこめられていた。冬は早く監房の戸がしめられて、みんなが寝しずまるまで、四時間は待たなければならなかった。それまではーー騒がしい音、わめきちらす声々、哄笑、罵り、鎖の音、人いきれ、煤、剃られた頭、烙印を押された顔、ぼろぼろの獄衣、すべてがーー罵られ、辱められたものばかりだ・・・それにしても、人間は生きられるものだ!人間はどんなことにでも慣れられる存在だ。わたしはこれが人間のもっとも適切な定義だと思う。(訳=工藤精一郎)

 

 貴族出身で、しかも繊細で神経質そうなドストエフスキーにとって監獄の劣悪な環境は特にこたえただろう。そんな彼でも、釈放の際には囚人仲間との別れを惜しむほど監獄生活に馴染んでしまったようだ。

 

 優れた小説家に共通する才能かもしれないが、ドストエフスキーも周囲の囚人や看守らに対する人間観察眼が非常に鋭い。話の舞台は1850年代のシベリア監獄という特異な環境ではあるものの、万国万人に共通するかのように思える人間の本質を突くような描写が多い。

 

 訳者である工藤精一郎氏の解説によれば、ドストエフスキーは兄宛の手紙で以下のように書いたという。

 

 ぼくは監獄生活から民衆のタイプや性格をどれほどたくさん得たかわかりません。浮浪人や強盗の身の上話をどれほど聞いたかわかりません!何巻もの書物にするに足るでしょう!

 

 実際、彼が後に書いた「カラマーゾフの兄弟」の登場人物もシベリア監獄の囚人たちがモチーフになっているんだとか。

 

 また、無職の身である私として印象に残ったのは以下の部分。

 

 自分の知力の限り、能力の限りを注いで打込めるような、自分の特別のしごとをもたなければ、人間は監獄の中で生きてゆくことはできなかったろう。

 もともと労働やしごとが禁じられていたわけではなかったが、道具類を所持することは厳重に禁止されていた。しかし道具がなければしごとができるわけがない。それで、こっそりしごとをしていたわけだが、よほどのことがなければ、上司はかなり大目に見ていたらしい。

  もっとも凶悪な犯人でもふるえあがり、それを聞いただけでぞっとするような、おそろしい刑罰を加えて、二度と立ち上がれぬようにおしつぶしてやろうと思ったら、労働を徹底的に無意味なものにしさえすれば、それでよい。 

 

 人間、何も有意義なことをできない状態というのが一番辛くて、自分の能力をぶつけられる「仕事」や労働は生き甲斐になりうる。無為な生活を送る私も今、それを感じている。